夕輝と何も知らない世界に降り立ち先に進める強さなど持ち合わせていない
2009年10月14日 日常+α【PSU】
そもそも、夕輝はPSOについては話に聞いたことがある程度で
まったくプレイしたこともないプレイする予定もなかったんだが
ふとしたきっかけでPSU(PC)のオープニングを見てしまい
その出来の良さというか昭和臭漂うカッコ良さに
やらねばならないと決意するに至った。
全てのRPGを過去にする勢いに負けずに
オフラインのストーリーをプレイしていたわけだが
正直なところ、オフラインの出来は予想に違わぬもので
ある意味満足した。懐かしいというかなんというか
とにかく最近ではまったく見られないものを見れたことに感動した。
オンラインも多少はプレイしたが、
最終的にはあまりやらなかった。
システムがどうとか、そういう問題ではなく
PSOの流れを汲む目に見えない部分が
新参としてはよくわからなかったのである。
不文律というのではなく
持ち込まれた雰囲気(なぜか変換できる)が
わからなかったのである。
FF14が来るに当たって
FF11から持ち込まれるであろう雰囲気に
新参がなじめるとは正直あまり思えない。
PSOに比べてもFF11はより閉鎖的というか
局地的というか、とにかく、難しいだろう。
MMOにおいて途中参入が如何に厳しいかというのを
肌で体験するにはよい経験だった。
いや、旧き流れが悪いというのではなく
それは良いものであるが故の本来の意味での敷居の高さである。
◆
PSUにしろFF11にしろ
良いところはたくさんある。
他のオンラインゲームも同じであろう。
ゲームとは、ゲームである限りそれはツールであり
コミュニケーションのための知的道具に過ぎない。
複数の人間が集まり、共に楽しむためのツールである。
相対する相手が知る人か見知らぬ人かの違いでしかない。
そういう意味では、MMOなどのいわゆるネトゲは
もっとも洗練された優秀なツールなのであると私は思う。
◆
見ず知らずの人間が集まって、ひとつのことを成し遂げるという
素晴らしい経験なんて、実社会でなかなかできるもんじゃない。
ましてや、同じ方向に向かって歩き続けることすら困難だ。
そう思うと、ネトゲは素晴らしいと思わずには居られない。
何百の金塊を積み上げても得られぬ物がそこにある。
◆
しかし、一方で人数が集まれば集まるほど
人は自分の存在を稀薄にしていき
また狂人の絶対数が増加する。
そして派閥が出来て、コミュニティは閉じていく。
現実社会という最も大きなMMOを見ていれば
それは容易に理解できよう。
◆
結局の所、
プレイヤーは、提供されたシステムそのものには大きな不満を持たない。
あるいは、持っているように見せかけているに過ぎない。
実際にある程度の不満は常に持っているが、
それはシステムが改善されたところで解消されることはなく、
常に一定量の不満は存在し続けている。
ネトゲが、MMOが、成功するかしないかは
形成されたコミュニティに寄る部分が大きいと思う。
もちろん、これは提供されたシステムが
最低限度の閾値を下回らない、という前提があるが
ともかく、システムが、ツールとして機能するならば
あとは、それを使う人間次第なのである。
FF14、どうなるか楽しみじゃないか。