夕輝となぜ人は留年するのか
2005年12月27日 日常+α【なぜ人は留年するのか】
夕輝はいろいろあって二留らしいです。
来年は六回生です。六年も通うことになりました。
あれ、もしかして夕輝の通ってるのは大学じゃなくて小学校かも?
じゃあ、卒論って何よ?ってことになる。
それは誰にもわからない。ヤバイ。
夕輝が留年したワケは単純に
授業を人並みに受けていないという理由しかない。
そんなもので二千字も書くなんて拷問に近い。
人並みにってのがポイント。
日本の大学の授業は真面目に受けるもんじゃありません。
もちろん中には良い大学もあるのでしょうが、
夕輝は良い大学には行っていないのでよくわかりません。
夕輝は一時期いろいろと思い悩んでおりましたので、
その影響で、二年近く人並みに授業を受けておりません。
だから、二留してもまあ仕方ないのです。
別にどうでもいいです。気がかりなのは金だけです。
手元の分ではどうしてもあと四十ほど足りません。
もちろん、来年稼いでしまえば良いので別に困ってはいませんが。
宝くじでも当てれば問題ないですしね。
思い悩んでいた時期はいろいろやりました。
ココでは到底書けないようなこともいろいろやりました。
犯罪はやってないので安心してください。
窃盗ひとつやっておりません。
ただし来年の今頃には犯罪になってしまうようなことはした。
それは何かはナイショだよ
で、まあなんていうか。
夕輝は楽観的だったんですね。血液型はB型です。
どうせ死ぬのなら死ぬ前にやりたいことをやっておこうって感じで、
いろいろやってたわけですよ。
いろいろやったおかげでいろいろ見えてきて今に至ると、まあ。
そんなこんなで二留したわけですよ。
これ以上書いても、愚痴にしかなりそうにないので割愛するけど
生徒を留年させることができるのは大学です。
生徒が留年すると得をするのは大学です。
大学の事務は頗る対応が悪い。
若人の皆さん、
大学は選べよということ。
別に単なる就職の箔としてというのなら
何処でもイイと思うけど。
関西圏理系なら立命館にしておいたら間違いないと思うよ。
もしくは京大。
阪大はキツいらしい。
私の行ってるところは行く価値無い。
2007年からは立命館は誰でも入れるようになるらしいし
夕輝はまた一から大学生をやり直したいです。
金があれば。
宝くじで一等三億当たったら、
たぶん大学生やり直します。
三億なんて、どうせはした金。あぶく銭。
身に付くわけも無いんだから、学費(と生活費)にしてしまえば
一番イイ使い方なんじゃね?
え?宝くじなんて買ってませんよwwwwww
夕輝はこんな性格の人なのですから
まあ二留も致し方ないかなと自分でも思います。
最後に言いたいことがあります。
千字で我慢してください、と。
夕輝はいろいろあって二留らしいです。
来年は六回生です。六年も通うことになりました。
あれ、もしかして夕輝の通ってるのは大学じゃなくて小学校かも?
じゃあ、卒論って何よ?ってことになる。
それは誰にもわからない。ヤバイ。
夕輝が留年したワケは単純に
授業を人並みに受けていないという理由しかない。
そんなもので二千字も書くなんて拷問に近い。
人並みにってのがポイント。
日本の大学の授業は真面目に受けるもんじゃありません。
もちろん中には良い大学もあるのでしょうが、
夕輝は良い大学には行っていないのでよくわかりません。
夕輝は一時期いろいろと思い悩んでおりましたので、
その影響で、二年近く人並みに授業を受けておりません。
だから、二留してもまあ仕方ないのです。
別にどうでもいいです。気がかりなのは金だけです。
手元の分ではどうしてもあと四十ほど足りません。
もちろん、来年稼いでしまえば良いので別に困ってはいませんが。
宝くじでも当てれば問題ないですしね。
思い悩んでいた時期はいろいろやりました。
ココでは到底書けないようなこともいろいろやりました。
犯罪はやってないので安心してください。
窃盗ひとつやっておりません。
それは何かはナイショだよ
で、まあなんていうか。
夕輝は楽観的だったんですね。血液型はB型です。
どうせ死ぬのなら死ぬ前にやりたいことをやっておこうって感じで、
いろいろやってたわけですよ。
いろいろやったおかげでいろいろ見えてきて今に至ると、まあ。
そんなこんなで二留したわけですよ。
これ以上書いても、愚痴にしかなりそうにないので割愛するけど
生徒を留年させることができるのは大学です。
生徒が留年すると得をするのは大学です。
大学の事務は頗る対応が悪い。
若人の皆さん、
大学は選べよということ。
別に単なる就職の箔としてというのなら
何処でもイイと思うけど。
関西圏理系なら立命館にしておいたら間違いないと思うよ。
もしくは京大。
阪大はキツいらしい。
私の行ってるところは行く価値無い。
2007年からは立命館は誰でも入れるようになるらしいし
夕輝はまた一から大学生をやり直したいです。
金があれば。
宝くじで一等三億当たったら、
たぶん大学生やり直します。
三億なんて、どうせはした金。あぶく銭。
身に付くわけも無いんだから、学費(と生活費)にしてしまえば
一番イイ使い方なんじゃね?
え?宝くじなんて買ってませんよwwwwww
夕輝はこんな性格の人なのですから
まあ二留も致し方ないかなと自分でも思います。
最後に言いたいことがあります。
千字で我慢してください、と。
夕輝と箱の中のおたく
2005年12月27日【箱の中のおたく】
最近、メイド喫茶ネタなどの
いわゆるオタク系のネタが
ニュースやワイドショー、深夜番組で度々放送されている。
数年前からすれば驚くくらい
一般にオタクが浸透してきているように見える。
電車男の影響だと思ってる人も多いかもしれない。
確かに、電車男は最近のオタクブーム(そう、
ココではこの一連の動きをオタクブームと名付けよう)
の火付け役となったのはあながち間違ってはいない。
だが火が付いても燃料がなければ燃え広がることは無い。
少し話を変えるが、
人が楽しみを感じるときというのはどういうときがあろうか、
あるいは、安堵するときはどういうときであろうか。
動物園に向かうとレッサーパンダが立って歩いていたりするだけで
ニュースになるほど人は騒ぐ。
確かに、動物園に行くと動物嫌いの人以外は結構楽しい。
象さんやキリンさんが好きです。と叫びたくもなろう。
じゃあどうして、動物園は楽しいのか。
それは、自分とは全く違うものが存在してそれを見るのが楽しいのだ。
人は変化を好む。変化を好むから人は進化する。
しかし、人は変化することは嫌う。
安定もまた人の好むところであるからだ。
変化を好むが自身が変化することを望まない。
だからこそ、自分と全く異なる存在を見て楽しむ。
さらに、その存在は自身のアイデンティティーを崩さないモノが良い。
すなわち、自分より明らかに下位の存在が望まれる。
話を元に戻そう。いや戻すまでも無いかも知れないが
一般人はオタクを自分より下の存在と認識している。
一般人にとってオタクは人ではなく、
動物園の檻の中の動物とたいして変わらないものなのだ。
別に私はそれをどうこう言う気はあまりない。
人は自分より弱いモノの存在を知ることで安心できる。
安堵できる。それが明日への活力となる。
ボランティアなどで老人介護、あるいは
障害者の介護を行っている人の中にも
意識的に無意識的にそういうところに心の安定を得ている人は
決して少なくないと思う。
重ねて言うが、それは決して悪いことではない。
その意識が、人を強くする。人に弱者を守らせる。
弱者は強者に守られる。
強者は弱者から安心感を貰う。
しかし、一般人がオタクを守ろうとすることはない。
人はまるで腫れ物を扱うかのようなごとき目でオタクを見る。
当のオタクは気が付いていない。
人の目の奥に潜む鈍い光を。
オタクには住み難い時代になったものよのぅ。
しかし、以前にも書いたように時代と共に全ては変わっていく。
真偽の境界は極めて曖昧だ。
マジョリティがマイノリティを駆逐する民主主義の世界では特に。
これからどのようになっていくのかは神のみぞ知る。
神はサイコロを振りたもう。
最近、メイド喫茶ネタなどの
いわゆるオタク系のネタが
ニュースやワイドショー、深夜番組で度々放送されている。
数年前からすれば驚くくらい
一般にオタクが浸透してきているように見える。
電車男の影響だと思ってる人も多いかもしれない。
確かに、電車男は最近のオタクブーム(そう、
ココではこの一連の動きをオタクブームと名付けよう)
の火付け役となったのはあながち間違ってはいない。
だが火が付いても燃料がなければ燃え広がることは無い。
少し話を変えるが、
人が楽しみを感じるときというのはどういうときがあろうか、
あるいは、安堵するときはどういうときであろうか。
動物園に向かうとレッサーパンダが立って歩いていたりするだけで
ニュースになるほど人は騒ぐ。
確かに、動物園に行くと動物嫌いの人以外は結構楽しい。
象さんやキリンさんが好きです。と叫びたくもなろう。
じゃあどうして、動物園は楽しいのか。
それは、自分とは全く違うものが存在してそれを見るのが楽しいのだ。
人は変化を好む。変化を好むから人は進化する。
しかし、人は変化することは嫌う。
安定もまた人の好むところであるからだ。
変化を好むが自身が変化することを望まない。
だからこそ、自分と全く異なる存在を見て楽しむ。
さらに、その存在は自身のアイデンティティーを崩さないモノが良い。
すなわち、自分より明らかに下位の存在が望まれる。
話を元に戻そう。いや戻すまでも無いかも知れないが
一般人はオタクを自分より下の存在と認識している。
一般人にとってオタクは人ではなく、
動物園の檻の中の動物とたいして変わらないものなのだ。
別に私はそれをどうこう言う気はあまりない。
人は自分より弱いモノの存在を知ることで安心できる。
安堵できる。それが明日への活力となる。
ボランティアなどで老人介護、あるいは
障害者の介護を行っている人の中にも
意識的に無意識的にそういうところに心の安定を得ている人は
決して少なくないと思う。
重ねて言うが、それは決して悪いことではない。
その意識が、人を強くする。人に弱者を守らせる。
弱者は強者に守られる。
強者は弱者から安心感を貰う。
しかし、一般人がオタクを守ろうとすることはない。
人はまるで腫れ物を扱うかのようなごとき目でオタクを見る。
当のオタクは気が付いていない。
人の目の奥に潜む鈍い光を。
オタクには住み難い時代になったものよのぅ。
しかし、以前にも書いたように時代と共に全ては変わっていく。
真偽の境界は極めて曖昧だ。
マジョリティがマイノリティを駆逐する民主主義の世界では特に。
これからどのようになっていくのかは神のみぞ知る。
神はサイコロを振りたもう。