夕輝と記念すべき第3370回目
2022年3月31日 日常+αやあ、ひさしぶり。はじめましてのひとははじめまして。
一つの歴史の区切りに於いて、老兵いや老害が馳せ参じた限りでございます。
思うに、DiaryNoteはSEGAみたいなもので、
生まれる時期が早すぎたわけで、最先端を通り越して
当時のトレンディでありました。
MTGはこのDiaryNoteに支えられてハッテンしたと言っても過言ではありません。
思うに2004年、この老兵がこのインターネッツの海を彷徨い歩いてたころ、
最初の日記を投下して幾星霜、思えば3000ほどの記事を投函してまいりました。
今見直せば、直視できぬものばかりで多数のお目汚しをして参ったと思へば
心苦しくも、ざまぁみろという思いが湧き上がってまいります。
いやいや、最近流行りのポケットモンスターカードゲームもDiaryNoteに育てられたものです。ここを起点に様々な出会いを経験し、それは今でも大事な財産であります。当時、ミステリアスパールを買わずにアグノムで済ませたのは最大の失敗だと痛感しております(ポーカー賭博店主が40マンぐらいで売ってるのを見て
それなのに、ガブリアスCはどうして、シロナと一緒に映っていないのか。シロナが映っていたらウン万円になったのにと、結局コンプできなかったパルシティを眺めております。ホビステのM井に投げようかと思ったのですが、トレードで手に入れた品々は大事にファイルにしまっておきます。かっこいいという理由で買ってたリザードン☆はそのうち売ります。
しかし、昨今のTCGを見ていると、DiaryNoteの存在は、ことMTGに於いては大きかったのだと心の底より思っております。塵芥に等しいトーナメントレポートにも偉大な価値があったのだ、と。
ついったーなる最新のきらびやかなSNSで、4-0だとか、ANTOXXとかいう記号に何の意味もなく、怪しい日本語でもそのレポートひとつひとつを今では愛おしく感じます。
ブログという、地球に魂ひかれたオールドタイプの遊びも、ついったーのような新しい文化に押しつぶされて悲しい気持ちというのは、本音です。
しかし、それにより、活字ジャンキーだったこの愚者も中毒症状から抜け出せたと思うと、今すぐ叡智を授けてほしいと切に願っております。
そもそも、140字とか文章じゃないし、つなげてぶらさげるのもかっこ悪い。
たまに、こことは全く関係のないツイッターで愚痴をつなげて投下するけど、3なんだかなぁと思うし、それが時代の流れだと思うと、まわるまわる時代はまわる気分です。
袖振り合うも多生の縁。全ては縁のものなので
いつかまた巡り合うこともあるでしょう。
そのときは、ここはどちらかというと黒歴史なので忘れていただければ幸いです。
それでは。
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