夕輝と

2014年1月19日 日常+α

閉鎖的なコミュニティで活動していると
自分がマイノリティであるにもかかわらず、
その閉鎖的コミュニティ内でマジョリティであると、
全体においてのマジョリティであると勘違いしてしまうことが多い。

特に、精神的に成熟していない人間には、この勘違いは多く起こりえる。

 ◆

死ぬまで、たったひとりぼっちで、誰ともかかわらずに生きていくなら、それでよいが
そうではないのなら、必ずヒトとの接点が生まれうるわけで
複数のヒトとの接点が生まれたときに、多数派と少数派にわかれることとなる。

そのときに、自分の立ち位置を理解できていないことに起因する
コミュニケーションにおける障害が非常に多い。

というか、非病的なコミュ障の大半が、それかその派生であるような気がする。

 ◆

私がツイッターやブログなどで、好き勝手自分の主張を殴り書くのは
その主張が著しく反社会的や道義から外れるものでなければ
特に問題とはなりえない。

例えば、私が、東京都知事選において、
最もまともな主張をしているのはマック赤坂であり、彼が最も都知事に相応しい。と言うのは問題ないし
それを正しいと思っていても問題がない。

しかし、ひとたび、多数のヒトが存在する場所で
それを口に出して言ったなら、すべての人がそれに同調してくれるはずもない。
同調してくれるヒトもいるだろうが、おそらく、私は少数派であろう。

なら、私は、多数派である反対派と、縁切りをしないのであれば
仲良くやろうとしなければならない。

 ◆

世の中には、にわとりか卵かではないが、

相手が仲良くしようとしないから、私も仲良くしないとかんがえるヒトが多いように思う。
そうやって、拒絶の壁を作るから、コミュ障になるのである。

特に、多数派は、多数であるから、少数と仲良くする必要はないとかんがえるヒトが多い。
しかし、それは、自分が多数派であると思い込んでるだけで少数派であったりすることなど日常茶飯事である。
そして、少数派なのに、多数派と縁切りすることを選択し、
閉鎖的なコミュニティに自分自身を追い込み、そして、悪循環の後に朽ち果てるのである。

 ◆

つーか、自分勝手な人間多すぎワロス。

自分のこと客観的に見れてなさすぎ、
自分が周りからどう思われてるか、それが大事なのに。
 
 
 
そうやって、他人の視線なんか気にしない俺カッコイーって思ってると
気が付かないうちに、少数派の閉鎖的なコミュニティの中で朽ち果ててしまう。

それがいいなら、止めはしないよ。

個人の意志を尊重とかなんとか。だから。

 ◆

社会の中で生きていくのは、めんどくさいし、俺も嫌だ。
誰にも気を使わず、やりたいことだけをして、生きていきたい。

でも、それはできない。

自分一人だけの問題ではないからだ。

祖先があって、おじいちゃんおばあちゃんがいて、両親がいて、
今の自分のために、今までの家系がある。
その家系のために、尽力してくれた数々のヒトがいて、
今もまた、尽力してくれている。
そして、自分には、守らなければならないモノがあり、
やらなければならないことがある。

誰もが一緒である。

ヒトは、たったひとりぼっちで生きるのでないのなら、

恩を返すべきヒトが必ずいて、守らなければならないヒトが必ずいる。

そのためになら、気を使って、他人の視線を気にして
堅苦しい社会で生きていくのも、まあ、仕方ないのかなと思うのである。

 ◆

因果応報である。
今の自分の立ち位置は、今までの自分によって作られたものである。
よって、今後の自分の立ち位置は、今の自分によって作られる。

そういう意味では、ヒトは限りなく自由であり、全ての可能性に満ちている。

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