別に何かどうというわけではないが、

量産型ツンデレの多くは、ツンデレとしてどうなのか。というキャラが多いのでは無いだろうか。

あまつさえ、もはやツンデレでもなんでもないキャラクターに対して

単なるフレンチバニラよろしくとりあえずキーワード能力を付与したいがために

乱雑に量産されているに過ぎないのでは無いか。

そもそも、そんなツンデレに価値などあるのか。

ツンデレという言葉自体は2002年発祥とされているが

実際にツンデレと呼ばれるキャラクターはそれ以前より存在しており

普遍化されるまでには実に様々な豊かなキャラクターがあった。

そもそも、ツンデレとは、ツンツンしてなければならず、

不用意にデレデレするものではない。

あまつさえ、ふたりきり以外の場でデレデレするのは、

もはや、それはツンデレと呼ぶには、あまりにも忍びない。

また、ツンデレに単を発した累々の派生語があるが、

それらの多くは単なる言葉遊びの域を出ない。

ツンデレは、基本的にクールでなければ成立せず、

また、そもそも単に病んでるのはクールでもデレデレでもない。

故にクーデレやヤンデレという言葉にはさほど意味を感じない。

存在を否定するわけではなく、その存在自体をそもそも吟味、熟考すべきである。

人間の多くは考えることを放棄し、わかりやすい言葉に飛びつく。

短絡的な、刹那的な思考を捨て、真に考えるべきである。

そもそも論として、金髪でなければならないような風潮自体が既に笑止千万である。

日本人は鎖国の歴史から、グローバルな存在に対して、文化的引け目を持ち

金髪は諸外国のひとつのわかりやすい記号であり、畏怖の対象であったが

ツンデレは、そんな古い文化で、味付けを強要されえるべきものではない。

黒髪、あるいは、日本古来より黒以外の日本国民に見られるような栗毛茶髪の方がよりよいのではないだろうか。

別段、金髪に対して何か異論があるというわけでない。

確かに、もともと、最初にツンデレの称号を受けたキャラクターは、金髪ツインテールであったわけだが

そのカタチに強く囚われすぎているように感じる。

ストレートロング、いや、三つ編みメガネなどどうだろうか。

ツンデレという言葉の発祥より十年を経て、実体化するとともにその誤用、乱発により

萌えという概念と同様に形骸化してしまってはいないだろうか。

基本に帰った時、ツンツンという言葉の響き、あるいは発祥のキャラクター性に引きづられ

ツンデレは、気性の荒いキャラクターと描かれる場合が多い。

これは、気の強いという意味を履き違えている感があり、乱暴であったり

あるいは喧嘩っ早いのは、もはやツンツンではない。

常にクールで取り付く島を見せない状態こそ、ツンツンである。

いわゆるバカやかわいそうな子には当てはまることはなく、

むしろ成績優秀であったり孤高の存在、委員長な役職についていたり

また、いじめの対象になりうるほどの独自性、孤高性を持っているべきではないか。

実際には、昨今の量産型ツンデレの多くは、おままごとの延長程度のツンとデレしかもたず

また、気性の荒いだの単なる移り気だの金髪だので、見るに耐えないものも多い。

しかし、その他方で、他の区別化のため、差別化のため、特別的な視点をユーザーに持たすために

より独特のスパイスをキャラクターに持たせることは必要だと言わざるをえない。

考えもなしに適当にあしらえるものではなく、深く考えられたツンデレには

それ相応のインパクトを、初見でツンツン以外から見出さされなければならない。

本来、我々大阪の人間は、エンターテイメントで使われる関西弁と呼ばれる摩訶不思議な言葉にあまり良い感じを受けないが

関西弁(あるいは単なる大阪出身などではなく神戸出身などが良い)も選択肢して悪くないのかもしれない。

量産型ツンデレに対して思いがけずに様々な苦言を呈する結果となってしまったが、

量産型の存在が悪いことだとは思っていない。

アニメや漫画、ゲームの実質的は寿命は短く、また、供給過多により

ひとりひとりのキャラクターを深く掘り下げること自体が困難であり

その結果として、薄っぺらい信念の欠片も感じないようなハンコで型押された

量産型がたくさん世に送り出されること仕方ないことなのである。

ジムの存在がガンダムを引き立てるように、量産型の存在自体が

勝利の事実でもあるし、市民権を獲得することは喜ばしいことであろう。

ツンデレは、その存在に対するイメージのためか、女性的な部分を強調しない傾向にあるように思える。

しかし、ツンデレの発祥といわれる大空寺あゆも巨乳であるし、女性であることは

非常に大事な要因であるため、やはり、巨乳であるのは必須事項だと考えて差し支えないと思う。

また、もはや笑ってしまうが、ドラゴンボールでベジータがツンデレと分類されているが

もちろん、その意図は理解できなくはないし、言いたいこともわかるが、

もはや、コントである。とはいえ、そのお堅いイメージがツンデレという言葉を連想するのは

悪くはない。むしろ、お堅いこと自体はツンデレには必要に感じる。

というように、やはりツンデレとして十分に魅了的であるためには、

ツンツンの時期は、長いほうが良い。むしろ、ツンツンである期間がメインですらある。

ツンデレの極意は、その二種類の相反する状態の移行期間と

移行の手順こそが寛容であり、ここを蔑ろにはできない。

この辺りにこそ、そのツンデレが上っ面のものか、ホンモノかを見分けるコツがあるはずだ。

冷静で知的で、孤高のプライドと茶色の三つ編みを持ち

ツン期が長くお堅いメガネ委員長で、一方で様々なことに悩み

出るところは出る女性的なプロポーションと取り付く島も無い拒絶反応と

それを焦らず、時間をかけ、ツンツンとデレデレをゆっくりしっかり料理した極上の瞬間こそ

ツンデレと呼ぶものに相応しいだろう。



なお、ニコニコ動画で申し訳ないが

http://www.nicovideo.jp/watch/sm10688819

こちらの動画を見ながらじっくり考えてみてほしい。

きっと君なら本当に良いものが何かが理解できるはずだ。

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