夕輝と

2013年2月27日 日常+α

たまにはよかろう。

 ▲▽▲

そもそも、体罰やイジメという言葉が悪い。

そんな言葉を使うことから見直す必要がある。
障害者の漢字とかそういう以前の問題で、

それが、暴行なのが脅迫なのか傷害なのか殺人なのか。

その辺りをはっきりさせないから、こういうことになる。

子供だろうが教師だろうが、犯罪は犯罪であり
塀の中だろうが、壁の向こうだろうが、治外法権は認められるべきではない。

人間(特に日本人)は、うやむやにするのを好み
それ故に、適当なレッテルを貼って、さもわかったようにする。

イジメや体罰という言葉もまさに、コレ。

臭いものには蓋の精神で、言葉を変えて有耶無耶にしているだけ。

体罰の是非を論じる前に、体罰という言葉を使わないことから始めよう。

 ▲▽▲

私は、わりと殴られて育った方なので
指導によっては、手を出すことそれ自体の是非は論じない。
必要なときに必要な指導はあるかもしれぬ。

しかし、私は教師に殴られたときでも、
平手以上は無いし、一日に二発目もない。
足や物で直接どうこうされたことはない。

怪我することもないし、殴られるときは殴られるに足る理由があったと思う。

それが、正しいのか正しくないのかは正直解らない。

 ▲▽▲

ただ、これだけは言える。
私は殴られたが、傷は負わなかった。
それは、手を出す側にも卓越した技術があったのだと思う。

もちろん、この傷というのは、目に見えるものだけのことではない。
(この注釈分が無ければ、理解できなかったのであれば、私の文章は読まないほうがいい)

 ▲▽▲

体罰の是非は甚だ無意味だ。
暴行や傷害はきちんと罰せられるべき。
 
 
 
はっきり言う、業務上過失致傷罪という罪がある。

傷つける意思が無かったは本来通用しない。
人を傷つけた教師はすべて罪を負うべき。



 ◆

とまあ、だから私の持論につながる。
 
 
小中高は私立へ行け。と

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