夕輝と

2012年7月13日 日常+α

スタンスの補足。

 ◆

自分の古い雑記に

私はいじめというものが存在することに
一部肯定的な考えを持っている。

という趣旨の文言がある。

んで、それは

まず第一にいじめというものは絶対になくなるようなものではないということ。
人が人であるかぎり、これは撲滅不可能。
いじめがなくなったとしたら、その時点で人は人でなくなっているだろう。

第二に、人格形成においていじめという事象に
子供のうちに関わっておくことはどのようなかたちであっても
十分にメリットがあると思っているということ。

まあ、こんな趣旨になっている。

こんなご時世だし、昔と今は違うんだよ的なことをよく聞くので
ちょっと補足しておくと


第二の点だが、
これは最終的に円満解決に至るという前提がある。
今はそうではないらしいが、
教師が文字通り人生の教師として子供に尽くしてくれていたので
いじめという存在をもプラスにかえてきた。
体罰もあろうが、殴られなければわからないこと
痛みを伴わなければ知ることのできない事実というのはたくさんある。

そして、第一の点だが
いじめは無くならない。これは間違いない。

が、違法行為についてはまた話は違う。
少年だろうがなんだろうが、暴行だとか恐喝だとか殺人はダメだ。
無くすべきだし、無くすことができる。

 ◆

まあ、言い訳じみた記事になってしまったけど

いじめることいじめられること傍観すること
教師に怒られること叩かれること和解すること
みんなで解決すること

これは大事。いじめというのはこの重要な学びの機会になる。
自分を尊重し相手を尊重することの重要性を学習できる。

どのみち、いじめは絶対に無くならない。
ならば、それを乗り越えていこうとするべき。

もっとも、教師がその能力を失っている今
学校にそもそも行く価値を感じない。


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