「遊ぼう」っていうと
 「遊ぼう」っていう。

 「馬鹿」っていうと
 「馬鹿」っていう。

 「もう遊ばない」っていうと
 「遊ばない」っていう。

 そうして、あとで
 さみしくなって、

 「ごめんね」っていうと
 「ごめんね」っていう。

 こだまでしょうか、
 いいえ、誰でも。

 ◆

金子さんが何を考えていたのかは本人しかわからないかもしれないが、十分に推測することはできる。
それができないということは、そういうことなのかもしれない。

文と文の間を読む能力がなくなったとか思考能力想像力の低下とか
そんなレベルの問題じゃないのかもしれない。

人間は自然の掟からはみ出して淘汰されることを忘れたので
進化することはなく退化していくだけなのかもしれない。

 ◆

これをパロった内容の記事を書こうとして、
正確な原文を求めてネットの海をさまよっていると、
理解出来ないとか意味が分からないという言葉と出会って目が点になった。

これの正確な意図は知るすべはないが、
普通の人がこれを見て意味を考えると、おおよそ三種類かそこらへんの解釈になる。

わからないという答えには到達しにくい。
(例外として子供は除く、この詩は子供を外から見ている視点で
最後の問いかけが子供を見ているか知っている大人に対する問いかけになってると思うので
中学生か高校生以上にならないと理解しにくいとは思う)

 ◆

個人的な解釈は、
相手に対して行った行動と同様の行動が自身に返ってくるということをこだまとかけている。
さらに子供のころにはその経験が誰でも必ずあることを最後の一文は示していて
こだまでしょうかと問いかけ調になっているのは
大人に対して、その事実を忘れていないかどうか、
子供の頃に誰もが経験して知っているはずのことを忘れていないかどうかを問いかける意味がある。
問いかけの答えは当然だがこだまではないわけで
こういうことを忘れていないかという確認に受け取れる。

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