世の中には、
結婚している男女、離婚した男女、
そして生涯独身の男女たちがたくさんいる。

私の経験では大半の結婚式において、
両者が愛を誓う場面があるのだが

人を愛するというのはどういうことなのだろう。
愛を誓い合ってなぜ離婚するのだろう。

 □ ■ □

その容姿を好きになり、容姿を愛するということなのか。
年月というものは残酷なのものであり
歳と共に肌は衰えおっぱいは垂れ頭は禿げる。
ある特定の時間の相手の容姿を愛したとしたなら
それは不変ではなく、いつしか愛していない別の物になる。

では、その人が持つ財産を愛するというのか。
いつかモノは損耗し消えて無くなる。
今は羽振りが良くても先のことは誰にもわからない。
株価為替は常に上下し、昨日まであった会社が
次の日にはきれいさっぱり無くなっていることも多い。
愛したものが次の日には無くなっているかも知れない。

ならば、その人のココロを愛するのか。
ココロが不変なんて誰が決めたのか。
気は変わる。優しさも冷たさに変わる。
無情の世の中に変わらないものなんてなにひとつない。

 □ ■ □

セックスは気持ちの良いものだ。
男女が愛し合って行うものであるとされているが
世の中に愛のないセックスなんて星の数ほどにある。

いや、愛のあるセックスだと思っているだけで
実際はそうでないパターンだって、たくさんあるだろう。
愛のある結婚を全うできた男女はそれほど多くない。

互いの利害の一致によってくっついているだけの
存在ならば、利害が一致しなくなった時に
離れゆくのは必然的である。

セックスできればそれでいい。なんて寂しい利害の一致は
おおよそ愛と呼べるモノではないし、お金の結びつきより弱い。
もっとも、お金があればそれでいいという利害の一致による
結びつきを愛と呼ぶ気にはさらさらなれないが。

男女の間に必要とされるものは何なのか。
金か体か。

結局、愛を必要としている人間なんてこの世に居ないのではないだろうか。

 □ ■ □

なぜ、人は独りで生きていけないのだろう。

技術的な問題点はあるかもしれない。
家事が出来ない、あるいは稼げない。
そんな利害の一致を愛と呼ぶのも寒々しいし、
それらを克服すること自体難解ではない。

子を産み育てるためなのか。
たしかに子供は可愛いものだ。
旦那は要らないが子供だけが欲しいと言う女性は
男性が思っているよりはるかに多い。
しかし、育児の苦労を考えると独りでできる仕事とは
私は到底思えないし、大半の女性がそれを思い、あるいは実感しているだろう。

だが、私はそれ以上に思うのは
それ愛なのか。ただのエゴではないのか。
子をきちんと責任をもって育てたいという思いは良いものだが
そのために男女が互いを拘束し合うのは愛とは違う。
夫も妻も子への愛は持っているのかもしれないが
それこそ、子が巣立つときに離婚するような男女になってしまいそうだ。
 
 
 
人は独りでも生きていける。
我が侭を言わず、自身のスキルを磨けば
この灰色の優しさに満ちあふれた世界で
生きていくこと自体はそれほど困難な問題ではない。

 □ ■ □

ならば、なぜ人は独りで生きていけないのだろう。
 
 
人は人の暖かさを忘れることはできない。
身体を重ね合わせる時の相手のぬくもりを感じることを放棄できない。
セックスの気持ちよさなどではなく、
身体と身体が触れ合うこと自体の心の安心感を
誰もが無意識に望み求めている。


結局、お金とかセックスとか子供とか
そんな高次元の問題ではなく
人はもっと低レベルな部分で
自分と同じぬくもりをもった
自分に似た存在を無意識に探し求めている。

夫婦は年月と共に似通ってくるというが
それは違う。年月を重ねることができる夫婦は最初から似通っているのである。

そして、その探し求めた何かに生涯の内に出会えた者は幸いである。

 □ ■ □

男女の付き合いは深い。
様々な理由と利害によって成り立っている。

生きていくにはパンが必要であり
年月による身体とココロの変化に耐え
そして、互いを結ぶ十分に太い赤い糸。

どれかが欠けても成立しない。

独りで生きていくほうがよほど簡単なのに。
それでも、人は人を忘れられないのだ。

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