【世間は日々狭くなる】

先日、仕事場で、思いも寄らない人と出会う機会があった。
というか、店にやってきた。
それ以外にも、
日本橋で意外な知人とすれ違ったり
梅田でニアミスしたり
そういえば、ポケモンのWCS予選でも
十年ぶりぐらいに顔を合わせる意外な人が居た。
(もっとも向こうが気が付いたかどうかはわからないが)

 ◆

そんなとき、皆さんは思い浮かぶ言葉があると思う。

世間は狭いなぁ、って

私もそう思った。

ふと考えた。

世間は狭い・・・いやいやそんなことは無い。
実際に日本という国、大阪という場所だけでも
面積的には狭いわけではない。
たくさんの人間が住んでるし行き交いしてる。

宇宙は常に膨張していると言うのだし
世間という空間が狭まっているわけではないだろう。
もし、そうなら、死ぬ前に押しつぶされてしまうではないか。

つまりは世間は狭くなっていないし
元々狭いもんじゃない。

要は自分の世界が広くなったのである。

新しい分野に触れ、新しい人間と出会い
知人、友人を増やせば増やすほど
町中で、あるいは世界の端で
意図せずすれ違う確率というのは増えていくだろう。

世間は狭いと感じた瞬間は
自分の世界の広がりを感じるべき瞬間なのである。

 ◆

日本人の平均経験人数は10人程度らしい。

この事実を見たとき、意外に多いなと思った。
私の経験人数はここでは伏せておくが、

私個人の超自分勝手な意見だが
経験人数は多ければ多い方が良いと思う。
(それは、自暴自棄や無鉄砲を支持するという意味ではない)

それはそれだけ自身の経験になるのだし
最終的に一生を共にする相手には
少し悪い気もしないでもないが、そこはおいておこう。

そういう意味でも機会があれば
いろんな方とお知り合いになりたいと常々思います。

 ◆

趣味が異なれば人脈も異なるわけで、
例えば、私が東方プロジェクト二次創作で知り合った人と
ポケモンカードで知り合った人と
FFXIで知り合った人はそれぞれ全く異なる集団だ。
中には被ることもあるかもしれないが、それは稀だ。

趣味が多ければ多いほど、他者と知り合う機会も増える。

他者との繋がりはさらなる繋がりへと発展する。

大昔、私がスレイヤーズに傾注していたころに
某ゲーム関係の集まりに参加したところ
神坂先生をお見かけしたことがあった。
まさに僥倖とはこのこと。とりあえずサインは頂いた。

今思えば、世間が狭くて、その狭い中に先生が居たわけではなく、
自分自身の行動範囲、世界が広がりを見せ
それが様々な人との機会を産んだのである。

 ◆

元カノや元カレと街ですれ違うこともあるかもしれない。
それは、元カノや元カレの数が多ければ多いほど確率は高くなる。

結局世間の狭さというのは、自分の付き合いの広さなのである。

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