夕輝と鬱々とした世界
2008年6月20日 日常+αまだまだ鬱病に対する理解が足らない世の中だ。
きっと貴方達は自分は他人と違って理解があるとでも思いこんでいるのだろう。
でも、実際は違う。
少なくとも、鬱病のことを心の病とか表現する人間は
鬱病をまったく理解していない。
鬱病は心の病では無い。
◆
人間だれしも落ち込むことはある。
挫折することもある。孤独を感じることもある。
心に黒いものを抱えることもある。
他人が自分に対して正当な評価をしていないと憤りを感じることも
日常茶飯事である。
実際のところ百人の人が居れば
九十九人はただの人のなので、
代わりはいくらでもいるし、
この資本主義を動かす歯車に組み込まなくても
資本主義はなめらかに動く。そうできている。
こんな表現があるが、
会社というのは5%の社員が95%の社員を喰わせるところだ、と。
本題から逸れたが、
とにかく人間というのはいかに矮小でちっぽけな存在であるかということだ。
少なくても貴方がそこに居なくても
社会は何も困らない。
◆
人間は必ず、そのことを見せつけられて挫折する。
如何に優れた人間でも、
いや優れた人間ほど状況を飲み込める能力があるからこそ
挫折する。
むしろ能力の無い人間ほど挫折を味わわない。
それでも、多くの人が生きていくしかないという
鬱々としたこの世界で、どれだけの人が懸命に生きようとしたか。
今まで、様々な時代で何億を越え、
それこそ星の数ほどの人間が
己の無力に苛まされつつも天寿を全うしようとしてきたか。
その中で生をなげださんという人間は
いかな理由有れども、懸命に生きる人にとって許される事ではない。
自殺者が3万人を越えて早10年。
人が増えれば自殺者もそれだけ増えるのが世の常だろうが
自殺、或いはこの世、いや自身を儚んでの犯罪
いずれも地獄の門をくぐるだろう。
◆
かような行為は懸命に生きている人間に失礼である。
同時に、鬱病に対する理解も同じである。
貴方達は、両足を骨折した人間に歩けと命ずるのか。
或いは両手を骨折した人間に箸を使えと命ずるのか。
少なくとも、鬱病に対する理解が十分に広まっているとは言い難い。
鬱病は脳神経の骨折である。
今医療に脳のギブスは無いが
投薬治療があるのだから、それをすればいい。
それが当たり前のことだ。
うちの親父は不治の病だ。癌じゃないが癌よりタチは悪い。
毎日必ず薬が要る。今後一生涯それを飲み続けなければならない。
それはごく普通のことだ。
◆
貴方自身、何が出来るというのだ。
そんなことは隣の家の爺にでも出来る。
貴方に自慢できることは何一つ無い。
少なくとも日本全国、
貴方よりも優れた人間は2000万人は居る。
そんな貴方に何が出来るというのだ。
何かをする必要なんて何もない。
貴方が何かをしなくても誰かができるし、する。
会社の社長が業務を放り出しても会社は倒産しない。
いわんや、誰か一人がストライキしたところで
会社も社会も何も変わらない。
もし、変えられるとすれば、それは勇者だけである。
◆
自分が無力なことを理解し、
社会から必要とされていないことを理解する。
そして、絶望しない。
この三点こそが今の世の中を生きていく人間に必要とされるスキルである。
貴方に出来ることなんか何もない。
何もしなくてよい。
ただ、何かから必要とされたときに
その使命を果たせばよいのである。
無力だからこそ、必要とされたときには
出来る限りのことをすればよい。
この世の中に、おまえが居たという軌跡を残せばよい。
小さな小さな跡を。
◆
結局の所、
人には生まれてきた意味がある。
人は無力で社会からは必要とされていないが、
何かから必要とされる瞬間がある。
その瞬間に使命を果たすことこそが
生まれてきた意味である。
この鬱々とした世界で生きていくのは容易なことではない。
ましてや、この歪んだ世界には不理解による障害が
山のようにある。
あれだけメディア露出している鬱病でさえ理解されていない。
鬱病以外にも理解されないことは多い。
そんな中で自分を維持することは極めて困難だ。
肩の力を抜け。お前が何をしても誰も気にしない。
だから、何もするな。
思ったことだけをすればいい。
必要とされたときにだけ行動すればよい。
ただ、生きていけばよい。
きっと貴方達は自分は他人と違って理解があるとでも思いこんでいるのだろう。
でも、実際は違う。
少なくとも、鬱病のことを心の病とか表現する人間は
鬱病をまったく理解していない。
鬱病は心の病では無い。
◆
人間だれしも落ち込むことはある。
挫折することもある。孤独を感じることもある。
心に黒いものを抱えることもある。
他人が自分に対して正当な評価をしていないと憤りを感じることも
日常茶飯事である。
実際のところ百人の人が居れば
九十九人はただの人のなので、
代わりはいくらでもいるし、
この資本主義を動かす歯車に組み込まなくても
資本主義はなめらかに動く。そうできている。
こんな表現があるが、
会社というのは5%の社員が95%の社員を喰わせるところだ、と。
本題から逸れたが、
とにかく人間というのはいかに矮小でちっぽけな存在であるかということだ。
少なくても貴方がそこに居なくても
社会は何も困らない。
◆
人間は必ず、そのことを見せつけられて挫折する。
如何に優れた人間でも、
いや優れた人間ほど状況を飲み込める能力があるからこそ
挫折する。
むしろ能力の無い人間ほど挫折を味わわない。
それでも、多くの人が生きていくしかないという
鬱々としたこの世界で、どれだけの人が懸命に生きようとしたか。
今まで、様々な時代で何億を越え、
それこそ星の数ほどの人間が
己の無力に苛まされつつも天寿を全うしようとしてきたか。
その中で生をなげださんという人間は
いかな理由有れども、懸命に生きる人にとって許される事ではない。
自殺者が3万人を越えて早10年。
人が増えれば自殺者もそれだけ増えるのが世の常だろうが
自殺、或いはこの世、いや自身を儚んでの犯罪
いずれも地獄の門をくぐるだろう。
◆
かような行為は懸命に生きている人間に失礼である。
同時に、鬱病に対する理解も同じである。
貴方達は、両足を骨折した人間に歩けと命ずるのか。
或いは両手を骨折した人間に箸を使えと命ずるのか。
少なくとも、鬱病に対する理解が十分に広まっているとは言い難い。
鬱病は脳神経の骨折である。
今医療に脳のギブスは無いが
投薬治療があるのだから、それをすればいい。
それが当たり前のことだ。
うちの親父は不治の病だ。癌じゃないが癌よりタチは悪い。
毎日必ず薬が要る。今後一生涯それを飲み続けなければならない。
それはごく普通のことだ。
◆
貴方自身、何が出来るというのだ。
そんなことは隣の家の爺にでも出来る。
貴方に自慢できることは何一つ無い。
少なくとも日本全国、
貴方よりも優れた人間は2000万人は居る。
そんな貴方に何が出来るというのだ。
何かをする必要なんて何もない。
貴方が何かをしなくても誰かができるし、する。
会社の社長が業務を放り出しても会社は倒産しない。
いわんや、誰か一人がストライキしたところで
会社も社会も何も変わらない。
もし、変えられるとすれば、それは勇者だけである。
◆
自分が無力なことを理解し、
社会から必要とされていないことを理解する。
そして、絶望しない。
この三点こそが今の世の中を生きていく人間に必要とされるスキルである。
貴方に出来ることなんか何もない。
何もしなくてよい。
ただ、何かから必要とされたときに
その使命を果たせばよいのである。
無力だからこそ、必要とされたときには
出来る限りのことをすればよい。
この世の中に、おまえが居たという軌跡を残せばよい。
小さな小さな跡を。
◆
結局の所、
人には生まれてきた意味がある。
人は無力で社会からは必要とされていないが、
何かから必要とされる瞬間がある。
その瞬間に使命を果たすことこそが
生まれてきた意味である。
この鬱々とした世界で生きていくのは容易なことではない。
ましてや、この歪んだ世界には不理解による障害が
山のようにある。
あれだけメディア露出している鬱病でさえ理解されていない。
鬱病以外にも理解されないことは多い。
そんな中で自分を維持することは極めて困難だ。
肩の力を抜け。お前が何をしても誰も気にしない。
だから、何もするな。
思ったことだけをすればいい。
必要とされたときにだけ行動すればよい。
ただ、生きていけばよい。
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