直前の記事のカンの話は
別にオマエがカンしたから
俺が裏ドラかぶって結局三位じゃねーか
オマエのせいだゴルァ!
謝罪と賠償を要求するニダ!!
的な意味ではないです。

実際に、そのカンが無かっても夕輝は三位です。

 ◆

麻雀界のオカルトとデジタルの戦争は
いつ果てることなく続いているわけですが、
なんていうか、不毛な争いっスよね。

別に悪意があって言うわけでもないし
悪口とかそういう意味合いはございませんことよ。
そもそも夕輝は麻雀は素人ですからそこんとこよろしく。
雀荘とか行ったことないし。

で、たぶん、彼らは麻雀のプロかもしれないが
ゲームのプロでは無いよな。

ゲームのプロなら、デジタルとオカルトという派閥が
できること自体無いだろ。

運が関与する系の対戦ゲームに従事してると
そういうところでモメることは少ないと感じる。

基本的に、オマエの運が良かったから負けた
あるいは、自分の運が悪かったから負けた
とか言う人は弱いってのが(中級者以上では)共通認識だし

特にカードゲームなんてやってたら
確率論が絡んでくるのは当たり前。

今の坊やたちはどうしてるかしらんが
デッキ構築時に確率論に沿った構築するのは基本中の基本。
(別に学問としてではなく経験則で十分だが)

麻雀も同じで確率論を重用するのはごく自然のこと。
よって、いわゆるデジタル的な考え方打ち方をするのは
ある意味自然で当然のことである。

運の関与するゲームにおいて勝つために重要なことは

"乱数が自分に不利であっても勝てるようにプレイすること。"

である。

これが抜けている人が多いような気がしている。

運が関与するゲームで不運があるのは当たり前。
不運のときにこそ勝てるように努力するのが本当の勇者。

よく考えても見たまえ。

運が良かったら勝てるのは当たり前なんだ。
そんなところで技術や努力の入り込む余地なんて少ない。

 ◆

で、デジタルとオカルトの間の何が不毛かっていうと
両者の打ち方ってほとんど変わりない。
細かい差が大きな差って考え方もあるかもしれないけど

オカルト派を自認していても

同じ点数なら8枚隠れてる2−5待ちと3枚見えてる4単騎なら
前者を選択する人間が圧倒的に多い(はず)。

例えば4単騎がつり出せるから4単騎に取るという考え方はある。
という理由で4単騎を選択するという選択もまた
極めてデジタル的な考え方だ。

これは、
2-5が手に入る確率より4が手に入る確率が大きいと判断しただけのことだ。

他にも流れという概念も全て確率論で言い切れる。
オカルト(アナログ)的な動きとデジタル的な動きの差は

単に確率という概念の受け入れと演算の違いでしか無い。

どちらが有意というのでは無く
それは個々人で異なるわけで
似たり寄ったりあれど派閥ができるようなものではない。

と私は考える。

と、同時に統計学的に見れば
麻雀の獲得点数にはsin波的な波があるだろうという憶測を
私はしている。前にも言ったように
打ち筋の観点から、全局で良い試合をした場合
直感力や集中力などいわゆるゲーム界における人間力が
一時的に向上し、スキルが上乗せされた結果
いわゆるバカツキモードに突入してしまうことがある。

全国大会などの大規模なゲーム大会で
プレイすると感じることがあると思うが
集中力が高まりすぎて、
脳内で何かが起きてる!何かが分泌されている!
って状態になることがある。トランスモードというか
とにかくいろんなものが研ぎ澄まされる。

こんな感じで麻雀も例外ではなく。

そういう意味でのツキや流れは存在するし
それを読み切ることは理論的には不可能ではないし
部分的になら現実的に可能。

ネット対戦だと難しいけど
顔付き合わせてたら、相手の状態はよくわかるからな。

 ◆

つまり、デジタルとアナログを状況に応じて使い分ける人間こそ最強の雀師であろう。

ちなみに、対戦系のゲームで
人間力が極大にまで研ぎ澄まされたトランス状態を
感じるというのは得も言われぬ快感でっせ。
何か大きなものが掛かってる対戦とかで発生する。

この瞬間だけは俺もニュータイプみたいな。

ま、老兵の戯れ言よ。

ゲームに強くなりたければ
不運のときこそ勝てるようにしる!

それにつきる。

 ◆

と偉そうなこと言ってる俺は
二段昇格後は負けが混んで原点から-30pt

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