夕輝と過去の花 〜 Fairy of Flower
2007年4月23日 日常+α コメント (1)ゲームは一人では出来ない。
もちろん、ここでのゲームはコンピュータゲームに限らないが、
コンピュータゲームももちろんゲームである。
◆
参加者が増えると、
そのマナーは反比例する。
よって、優良な多人数参加型ゲームとは
参加者の数に対して全体のマナーの質が良いものである。
ゲームを面白くさせる最も大きな要素は
良好な交友関係にあるので、
ある意味では、ホストは把握できないほどの数のゲストに対して
優良なゲームを提供するのは難しい。
どんなに優れたレストランでも、
心ない客が喧嘩を始めただけで
料理が不味くなるのと同じである。
◆
そして、今
数年前にあれだけ囃し立てられた
インターネットを通じた多人数参加可能なゲームが
劇的な速度で衰退の一途を辿っていることに対して
ゲストは、自身に対して危機感を抱くべきかも知れぬ。
◆
ゲームが文化かどうかはさておき、
全てのことには意味があり価値はある。
もし、この世に無価値なものがあると感じたならば、
無価値と感じたその数だけ、
人生を存していることに他ならぬ。
しかし、不倫は文化だ。
◆
つまり、文化とは環境が創るものではなく
人が創るものなのである。
そして、一度創られた文化は
文化として後世に伝えられるかどうかはわからないが、
その時点では、存在する確固たる文化なのである。
仮に文化で無いとしても、
それに尽力している人間が存在するのならば、
それを軽視すべきでは無いし、
軽視するというのは人間として低俗な行為であろう。
◆
結局の所、ゲームという非生産的な行為と
それに関わる全ての行動にこそ
人間の本質が滲み出る。
そして、そのこと自体が
非生産的な行為に意味を与え、
それは人格の淘汰としての
生産的な行為とも受け取られるのである。
そもそも、無意味で無価値なものが
何十年もかけて発展し続けるわけが無いじゃないのかね。
何が一番言いたかったかというと、
ゲームは一人では出来ないということだ。
コメント
まぁ恋愛もゲームも一人じゃできないからなぁ。
一人で出来るのはオ○ニ(略