ぼくはそのめーるをみて
こおったぷれすてのかどにあたまをぶつけて
ちだらけになればいいのにとおもいました。
 
 
ぷれすて3がてにはいったらはんぶんわけると
きっとゆるしてもらえるとおもいます。 
 
 
 
【どうしていじめがなくならないか】

例の手紙の予告日だったらしいですね。
幸いにも自殺者が
出なくてよかったと思います。
 
 
予告状を出したひとたちが皆
なぜか思いとどまってくれたのでしょう。
どういう理由いきさつかは知りませんが、
とてもよかったとおもいます。
 
 
 
 
ちなみにいじめがなぜなくならないかということを
簡単に証明してみようと思う。

有史以来、
様々な国で様々な方法で
のべ人数にすれば日本国民の総数の何十倍の人々が
犯罪を無くそうとしてきたが、
未だに犯罪は無くなっていない。
 
 
 
いじめも同様である。

そもそも、いじめは、
恐喝、暴行、侮辱等の犯罪の別称であるからして
犯罪が無くならない以上いじめは無くならないのである。
 
 
 
だからといって放っておいていいわけじゃないから
世の中には法律があり警察があり裁判所がある。
 
 
学校に教育機関に、それはあるのかい?
 
 
 
自殺っつーのは、
いろいろと考え方あると思いますが、

以下、不快に感じるようなコトを堂々と書いてるので注意。
諸事情によって、跡形もなく消えるコトもありうる。
 
 
最近思うのは、別にどうでもいいんじゃないか、と。
もうね、他人が何しようと関係ないじゃん。
どうでもいいんだよ。もう死にたければ死ねばいいんじゃない?

死にたいとか言う人はなかなか死なないもんなんですよ。

自殺するのは、主に鬱病などの精神的疾患を持っているか、
不治の病などの、本当の死(あるいは、それ以上の恐怖)が
目前に迫っている場合ぐらいなもんなんで。

(まあ、中には、ホントは死ぬ気じゃなかったけど
腕切ったら死んじゃった的な人もいる)
 
 
包丁やロープなんて、百均でも売ってるわけで
死のうと思えばいつでもだれでもすぐにできるんですよ。
それをしないで、愚痴をこぼすのはただそれだけなんですね。

まあ、それで精神安定剤的な役割を担っているので
一概に否定するもんじゃないですが、
他人の迷惑も少しは考えるべきですね。

たまの愚痴は許されるとしても、
毎日、愚痴られたらたまったもんじゃないよね。
 
 
 
今回の手紙も同じだと思っていた。もしくは愉快犯。
 
 
昔、メル友の一人がこの手の人間(リスカ愛好家)だったの。
だから今回の予告になんか既視感を覚えたんだよね。

その人とのこちらからの最後のメールには、
やんわりと、
自分でよく考えた結果自殺するなら僕は止めないよ的なことを
書いたらなんか返事が来ましたが、返さなかったですね。

どうでもいいですね。
 
 
ハナシを元に戻します。

私がここで、自殺についてうんぬんかんぬん言っても
世界は変わったりしません。
私が文部科学省の大臣だったり、総理大臣であってもです。

自殺を止められるのは、周りの人だけです。これはガチ。

止めたきゃ止めればいい。
それができる人は周りの人間だけなんだから。
 
 
ちなみに
私は最初に自殺するならすればいいーじゃんとは書きますが、
知人が自殺しようとするなら当然止めますよ。

それは自殺が良くないことだとか偽善とかそんなんじゃなくて
単に仲のいい人がいなくなるのは寂しいことじゃないですか。
本気じゃなくても、そういう愚痴で気が済むなら
聞いてあげればいいんですよ。
仲が良い人なら、それくらいたやすいもんでしょ。
 
本当に辛いことは仲の良い人がいないという現実なのでしょう。
自殺するということは、
信頼できる人がこの世に居なかったことの証であり、
それを世界は受け止めるべきです。

最後に結論をまとめると、

自殺したけりゃすればいいんじゃね?
でも、俺の周りでやるのは止めるぜよ。
自殺するなら俺を納得させてから逝け、みたいな。
 
 
 
結局、
自分の手の届く範囲より外のことは
どうしようもないんですよ。

それに、手の届かない場所をどうにかしようというのは
思い上がりに過ぎない。

その場所に手が届く人に任せてればいい。
 
 
 
 
全ての場所に、誰かが手を伸ばせるような世界になれば、
きっとそれは素晴らしい世界になると思うのですよ。

コメント

ワリオ
ワリオ
2006年11月11日22:39

ひどい奴がいたもんですねえ

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