当然、西瓜の話は夕輝の創作である。>挨拶

【全国各地の高校での履修単位不足問題】

我々は物事の本質を捉えねばならぬ。
物事の表面だけを見聞きし、知った気になってはならぬ。
しかし、自分で考え得た結論には意味があり、価値がある。

では、私の意見を。
 
 
 
この問題の本質は、教育問題では無いのではないだろうか。

つまりは、悪法も法か、である。
 
 
学校側は、大学受験で自校の生徒を有利にさせるために
ルール違反を犯したのである。

大学入試のシステム上の問題、
或いはマスメディアが騒ぐ学歴偏重主義と呼ぶ何かの存在、

教育には様々な問題があるなかで、

自称識者のコメンテーターは
いろいろな何かを犯人にしたがっているようだが、
 
 
端的に言ってしまえば、
大事な点はこのルール違反は認められるかどうか、であろう。
 
 
以上が前置き。

結論から言うと、私は悪法も法だと考えている。
しかるに、今回の一件は学校側が悪い。

法治国家に住む以上、法や規則は絶対である。

生徒に対して、
なんからの救済措置を与えることすら間違っていると考えている。
 
 
 
確かに生徒は可哀想だ。同情もしよう。
何が哀しゅうて、今から世界史を一からやらねばならぬのか。

だが、ルールはルールである。
 
 
 
そもそも、彼らだけに救済を与えては、
その他大勢の努力してきた者達はどうなるというのか。
その方がよほど可哀想だ。同情もする。

 
まあ、悪いのは学校だ。

学校も、生徒のためだとかなんとか言いつつも、
自校の評判のためであるこは明白で、
自分の保身のために、生徒に無理を要求しているのは
罰せられてしかるべきである。
 
 
 
と、いろいろ書いたが、
大事なことは何が悪いかではなく、
悪法は法かどうかである。 
 
 
 
 
以下、蛇足。

などと書くと、現在の大学入試のシステムが
さも悪法のように聞こえるが、
私はそうは思っていない。

学歴偏重と呼ぶが、
良い大学に行ってる人間は
皆、それなりに努力してきている。
その恩恵を受けることに問題があるとは思えない。

お金が無いと学力は育たないと公言してはばからない人間も居るが、
まず努力をしてからモノを言った方が良い。
努力もせずに格差のせいにするのは簡単だ。
 
ホリエモンがどれほど努力してきたか知っているのか?
 
 
努力もせずに泣き言を言う時点で、DaBombである。 
 
 
 
 
以下、履修問題大学問題には関係ない教育の話
 
 
子供達が気養育を受けるに於いて
最もゆゆしき問題は、
子供は親を選べないということである。

子供の最初の教師は親である。

その親を選択できず、
運を天に任せるしか無い子供は
可哀想な存在だと言える。
 
育児放棄をしている親の人数は、
我々の想像を遙かに超えている。
 
 
 
子供達が最初に引くことになるクジの
ハズレの割合は大きいのだ。
 
国が教育の環境を改善するにおいて、
最初に行わなければならないのは、
この不平等なくじ引きを解決することである。

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