最適化問題序論及び、線形計画問題におけるシンプレックス法に関するノート(未校正)については直前の雑記を参照されたし。>挨拶

秘密にちらっと書いたけど、
結局挿入するグラフは手書きになっちまったい。
まあいいや。もうどうでもいいや。

一段落ついたってとこかな。
ま、これを発表せにゃならんわけだがな。

【FFXI】

アルザビに関する考察。
といっても、ネタバレとか、世界観とかじゃない。
 
 
 
ビシージが存在することによる短所と長所である。
イベントとしてのビシージは此処では議論しない。
ビシージが存在することにより、
アルザビにはシステムから退去勧告が発せられるほどに人が集まる。
アルザビに存在できるPC数は750人といわれている。
これを越えた場合、別のエリアに送り込まれるのではなく
振り落とされ、接続を切断されるわけだ。

これは、システムの不備だとか、怠慢だとかいわれてるが実際にそうだろうか。
技術的にこれを回避することはさほど難しくない。
別のエリアに誘導すればよい。
まあ、これはかなり精密なチェックを行わなければ
一部の心ないPCに悪用されるので注意は必要だが、

だが、この不備はシステム全体には有利に働く。

このシステムこそ、アルザビにおける不便な点であるからだ。

アルザビを訪れたことがあるならばよくわかると思うが、
利便性が極めて高い。
多くのPCがアルザビに腰を落ち着けたくなるだろう。

これが誘発することはジュノの過疎化である。

ジュノの混雑が緩和されることは望ましいが
過疎化することは全く望ましいことではない。
新規を獲得しようとしているならなおさらである。

では、アルザビに人が行きすぎないようにするにはどうすればいいか。

そこでビシージの存在がある。

これにより、アトルガンに存在するPCを
アルザビに一時的に集中させる。

ジュノのように4エリアでは750*4の人数を支えられるが、
アルザビは1エリアであるため、その1/4しか支えられず
振り落とされる人間が現れる。

よって、これを嫌うPCは拠点をジュノから移さない。
そもそもジュノは利便性は決して悪くないからだ。
 
 
 
たぶん、アルザビの750縛りは今後一切修整されることはないだろう。
 
 
 
別に真剣に話がしたいわけではないので
真に受けないことが重要。

まあ、夕輝的には

ナジャ社長>>>ミリ・アリアポー

である。

【RPG】

MMORPGも含めて良いが、RPGとは
ゲームとしては、我々が単純に想像するゲームとはかけ離れている。

現在主流であるコンピュータRPGの多くは
プレイヤースキルをあまり要求しない。

誰でもレベルさえあげればなんとかなるものがほとんどである。

つまり、時間さえかければ良いのであって
スキルを磨く必要は全く無いといえる。

それは作業量を競うものであり、
ゲームとはある意味正反対である。
 
はたしてゲームと呼んでもよいのだろうか。
 
 
 
では、どうしてゲームであってゲームでないのか。
 
 
 
そもそもRPGとは何なのか。
 
 
 
 
RPGはある物語の参加者となり
その物語を共に創り共に楽しむのが原点である。

いってしまえば、ごっこ遊びなのだ。

当然、そこには勝者はいない。
強いていうなら楽しいければ全員が勝者である。

その楽しみは演劇に通じるところがある。
台本はある程度しか用意されておらず
基本的にアドリブとサイコロで進行する演劇である。

これがRPGの原点であるからゆえに
RPGはシューティングやアクションなどの
他のゲームとは全く別のカテゴリに属するゲームであるのだ。

故にRPGの楽しさは、他のものよりも
ストーリーやキャラクターなどの世界観に
依存する傾向が強い。
もちろんシステムも必要だが、
ほとんどの場合、物語を楽しむのに最も適したシステムを
ユーザは要求する傾向にある。

もちろん何事にも例外はある。
アクションRPGのような両者の良いところを取り入れようとした作品も
この世の中には多い。

しかし、そのアクションの部分は
物語を楽しむのに最も適したシステムであらねばならない。
(それがあくまでRPGを名乗るのであればだが)

結局はスキルをあまり要求してはいけないのだ。

FFXIでもそれは顕著に表れる。

プロマシアミッションが敬遠される理由はそこだ。

ストーリーは秀逸ではあるが、
それを楽しむのに適したシステムでは決して無いのだ。
スキルも要求する。

アトルガンミッションがアサルトも含めて
(少なくとも現時点では)歓迎されたのは
こういう理由によるところが大きいのだと思われる。

別にプロマシアがクソだと言うのではない。
あれはあれで良いのだが、

いまやコンピュータRPGであるということが
枷となっているのだ。
 
 
 
 
これが本来のRPGであれば
戦闘に負けても、物語は続く。
一度は打ちのめされても再び戦い勝利するのは
王道中の王道だ。

しかし、コンピュータはそこまでの融通が利かない。
結果として、負けた場合は
物語を楽しむことが出来ない。

それはRPGを根底から否定してしまう。

結果、コンピュータRPGは
プレイヤーが勝ち続けている間はRPGであるが
負けた瞬間RPGではなくなってしまうということだ。
 
 
 
そこから、スキルを要求せずに作業量を要求するゲームとなった。
スキルはどんなに磨いても限界があるが、
作業量は天文学的数字を求めなければ
ある程度はプレイヤーはこなしてくれるからだ。

結果、コンピュータRPGはプレイヤーに負けさせてはいけない。

そんな見えない大原則が存在するのだ。
 
 
 
 
なお、旧Wizのような作品は
ストーリーを楽しむというよりは
クリアすることに重点を置いているので
操作方法は違えども、この考え方の分類では
アクションと大差ないのだ。
だから、死んでも灰にされてもロストさせても許されるのだ。

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