夕輝と箱の中のおたく
2005年12月27日【箱の中のおたく】
最近、メイド喫茶ネタなどの
いわゆるオタク系のネタが
ニュースやワイドショー、深夜番組で度々放送されている。
数年前からすれば驚くくらい
一般にオタクが浸透してきているように見える。
電車男の影響だと思ってる人も多いかもしれない。
確かに、電車男は最近のオタクブーム(そう、
ココではこの一連の動きをオタクブームと名付けよう)
の火付け役となったのはあながち間違ってはいない。
だが火が付いても燃料がなければ燃え広がることは無い。
少し話を変えるが、
人が楽しみを感じるときというのはどういうときがあろうか、
あるいは、安堵するときはどういうときであろうか。
動物園に向かうとレッサーパンダが立って歩いていたりするだけで
ニュースになるほど人は騒ぐ。
確かに、動物園に行くと動物嫌いの人以外は結構楽しい。
象さんやキリンさんが好きです。と叫びたくもなろう。
じゃあどうして、動物園は楽しいのか。
それは、自分とは全く違うものが存在してそれを見るのが楽しいのだ。
人は変化を好む。変化を好むから人は進化する。
しかし、人は変化することは嫌う。
安定もまた人の好むところであるからだ。
変化を好むが自身が変化することを望まない。
だからこそ、自分と全く異なる存在を見て楽しむ。
さらに、その存在は自身のアイデンティティーを崩さないモノが良い。
すなわち、自分より明らかに下位の存在が望まれる。
話を元に戻そう。いや戻すまでも無いかも知れないが
一般人はオタクを自分より下の存在と認識している。
一般人にとってオタクは人ではなく、
動物園の檻の中の動物とたいして変わらないものなのだ。
別に私はそれをどうこう言う気はあまりない。
人は自分より弱いモノの存在を知ることで安心できる。
安堵できる。それが明日への活力となる。
ボランティアなどで老人介護、あるいは
障害者の介護を行っている人の中にも
意識的に無意識的にそういうところに心の安定を得ている人は
決して少なくないと思う。
重ねて言うが、それは決して悪いことではない。
その意識が、人を強くする。人に弱者を守らせる。
弱者は強者に守られる。
強者は弱者から安心感を貰う。
しかし、一般人がオタクを守ろうとすることはない。
人はまるで腫れ物を扱うかのようなごとき目でオタクを見る。
当のオタクは気が付いていない。
人の目の奥に潜む鈍い光を。
オタクには住み難い時代になったものよのぅ。
しかし、以前にも書いたように時代と共に全ては変わっていく。
真偽の境界は極めて曖昧だ。
マジョリティがマイノリティを駆逐する民主主義の世界では特に。
これからどのようになっていくのかは神のみぞ知る。
神はサイコロを振りたもう。
最近、メイド喫茶ネタなどの
いわゆるオタク系のネタが
ニュースやワイドショー、深夜番組で度々放送されている。
数年前からすれば驚くくらい
一般にオタクが浸透してきているように見える。
電車男の影響だと思ってる人も多いかもしれない。
確かに、電車男は最近のオタクブーム(そう、
ココではこの一連の動きをオタクブームと名付けよう)
の火付け役となったのはあながち間違ってはいない。
だが火が付いても燃料がなければ燃え広がることは無い。
少し話を変えるが、
人が楽しみを感じるときというのはどういうときがあろうか、
あるいは、安堵するときはどういうときであろうか。
動物園に向かうとレッサーパンダが立って歩いていたりするだけで
ニュースになるほど人は騒ぐ。
確かに、動物園に行くと動物嫌いの人以外は結構楽しい。
象さんやキリンさんが好きです。と叫びたくもなろう。
じゃあどうして、動物園は楽しいのか。
それは、自分とは全く違うものが存在してそれを見るのが楽しいのだ。
人は変化を好む。変化を好むから人は進化する。
しかし、人は変化することは嫌う。
安定もまた人の好むところであるからだ。
変化を好むが自身が変化することを望まない。
だからこそ、自分と全く異なる存在を見て楽しむ。
さらに、その存在は自身のアイデンティティーを崩さないモノが良い。
すなわち、自分より明らかに下位の存在が望まれる。
話を元に戻そう。いや戻すまでも無いかも知れないが
一般人はオタクを自分より下の存在と認識している。
一般人にとってオタクは人ではなく、
動物園の檻の中の動物とたいして変わらないものなのだ。
別に私はそれをどうこう言う気はあまりない。
人は自分より弱いモノの存在を知ることで安心できる。
安堵できる。それが明日への活力となる。
ボランティアなどで老人介護、あるいは
障害者の介護を行っている人の中にも
意識的に無意識的にそういうところに心の安定を得ている人は
決して少なくないと思う。
重ねて言うが、それは決して悪いことではない。
その意識が、人を強くする。人に弱者を守らせる。
弱者は強者に守られる。
強者は弱者から安心感を貰う。
しかし、一般人がオタクを守ろうとすることはない。
人はまるで腫れ物を扱うかのようなごとき目でオタクを見る。
当のオタクは気が付いていない。
人の目の奥に潜む鈍い光を。
オタクには住み難い時代になったものよのぅ。
しかし、以前にも書いたように時代と共に全ては変わっていく。
真偽の境界は極めて曖昧だ。
マジョリティがマイノリティを駆逐する民主主義の世界では特に。
これからどのようになっていくのかは神のみぞ知る。
神はサイコロを振りたもう。
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