夕輝と星霜の鼓動
2005年8月9日 ShortStory【星霜の鼓動】
そこに、大樹がそびえ立っていた。
緑に萌える枝葉が風に靡き、静かな囁きを創り出している。茶色に色付いた幹は長い年月を刻んでいる。樹齢は数百年、いや千年はくだらないかもしれない。少なくとも、その前で佇む二人には、専門の知識が無いためよくわからない。しかし、この何もない、瓦礫と怨嗟で満ちあふれた荒野に鮮やかな緑の塔は似合わない。
青い長髪の女が、大樹の先端を見上げている。
「・・・私、初めて見たよ」
隣の金髪の少女が、幹に近づきながら答える。
「・・・人間以外にも顕現存在があったとはねぇ。どうでもいいけど、口開けて上向いてるとあなた馬鹿みたいに見えるわよ」
言われて、女は慌てて口を閉じた。それほどに、この大樹は彼女たちを驚かせたのだ。
金髪の少女は、また一歩幹に近づくと、彼女の両の腕を伸ばしても、幹を囲むことが出来ぬ大樹に抱きつくように、手を伸ばした。ひんやりとした感触が、蒸し暑い太陽の下で気持ちよかった。そこにあるはずのない感触があるはずのない両の手を通して、彼女に流れ込んだ。大樹の脈動さえ感じ取れる。
また風が瞬いて、大樹がざわめく。そのざわめきは不安に彩られた悲鳴のように、風に大地に彼女の心に溶けていく。
「・・・わかったわ」
金髪の少女が、剣の手入れを始めていた女剣士の元に戻ってきた。女剣士は、先ほどまで背負っていた、青と赤の十字で飾られた盾を地面に置き、聖水で祝福された銀で覆われた自分の剣の柄頭を調整している。
「ふーん。アンタと手を繋がないように気を付けなくちゃねぇ」
「あなたの考えてることぐらい、触れ合わなくてもすぐにわかるよ」
「へー、馬鹿ですいませんねぇ。で、どうなのよ?」
言葉の代わりに、少女は指を指して示した。
指の先には、崩れかけた小さな家屋が見えた。それは崩れかけたとはいえ、原型を留めており、今まで数え切れぬほどに見飽きた、崩れた砂のお城とは全く違っている。女剣士の疑念に少女が答える。
「あの大樹が盾となったようね」
女剣士は、心の中で滅多なことは考えないことにしようと思った。と思ったことでさえ、少女の心に流れ込んでしまっているかも知れないのだが。
女剣士は剣を仕舞うと、決して油断することなく家屋に近づいた。ガラスが嵌っていただろう窓はガラスどころか、窓であることさえ放棄してしまい、ドアと大して違わない存在になっている。いつ崩れるかわからないほどに傷んだ家屋に、女剣士だけが静かに入っていった。金髪の少女は、大樹の側の瓦礫に、そう何処から飛んできたのか見当もつかない瓦礫に腰を下ろした。
「・・・心配しなくても大丈夫よ」
誰に聞かせるわけでもなく呟いた声は風に揺れる葉のざわめきにかき消される事は無かった。
・・・
何か音が聞こえた。小さな音だ。何かが風を切り裂く音。何かが空気を擦り震わせた音。その音は少女にはっきりと聞こえた。
この大樹には聞こえただろうか。
女剣士が家屋から出てきた。既に剣はまた元の鞘に戻っていた。
少女が再び大樹の幹に触れる。
その瞬間に大樹が、爆ぜた。
まるで、深海の泡のように、虚空へと溶けて消えていく大樹を二人は見つめていた。無音のままに、泡が弾けて消えていく。たくさんのしゃぼん玉が屋根まで届かずに割れるように、泡は太陽に届くことなく消えていく。決して、いつも変わらない太陽の激しく降り注ぐ光の雨が、今日はいつもより強く感じた。
二人は崩れかけた家屋の側に、小さな墓を建てた。墓標だけの墓。他には何もない、単なる瓦礫の石標。それが墓であることなど誰にもわからない。誰にもわかる必要もない。ふたつの墓が家屋の側でこれから永遠に佇むのだ。誰のためでもなく、何かのためでもなく、ただ、そこに死があったことを示す標。生があったことを示す標。それ以上でもそれ以下でもない。永劫の時間でさえ、死と生を割けるのは短すぎるのかもしれない。
「もっと南に向かおうか」
女剣士がポツリと呟いた。
「何処へ行っても一緒じゃないの?」
少女が言う。彼女には聞く前にその答えはわかっているのかもしれない。それでも、女剣士は言った。
「・・・心が寒い」
そして、そこには誰も居なくなった。
そこに、大樹がそびえ立っていた。
緑に萌える枝葉が風に靡き、静かな囁きを創り出している。茶色に色付いた幹は長い年月を刻んでいる。樹齢は数百年、いや千年はくだらないかもしれない。少なくとも、その前で佇む二人には、専門の知識が無いためよくわからない。しかし、この何もない、瓦礫と怨嗟で満ちあふれた荒野に鮮やかな緑の塔は似合わない。
青い長髪の女が、大樹の先端を見上げている。
「・・・私、初めて見たよ」
隣の金髪の少女が、幹に近づきながら答える。
「・・・人間以外にも顕現存在があったとはねぇ。どうでもいいけど、口開けて上向いてるとあなた馬鹿みたいに見えるわよ」
言われて、女は慌てて口を閉じた。それほどに、この大樹は彼女たちを驚かせたのだ。
金髪の少女は、また一歩幹に近づくと、彼女の両の腕を伸ばしても、幹を囲むことが出来ぬ大樹に抱きつくように、手を伸ばした。ひんやりとした感触が、蒸し暑い太陽の下で気持ちよかった。そこにあるはずのない感触があるはずのない両の手を通して、彼女に流れ込んだ。大樹の脈動さえ感じ取れる。
また風が瞬いて、大樹がざわめく。そのざわめきは不安に彩られた悲鳴のように、風に大地に彼女の心に溶けていく。
「・・・わかったわ」
金髪の少女が、剣の手入れを始めていた女剣士の元に戻ってきた。女剣士は、先ほどまで背負っていた、青と赤の十字で飾られた盾を地面に置き、聖水で祝福された銀で覆われた自分の剣の柄頭を調整している。
「ふーん。アンタと手を繋がないように気を付けなくちゃねぇ」
「あなたの考えてることぐらい、触れ合わなくてもすぐにわかるよ」
「へー、馬鹿ですいませんねぇ。で、どうなのよ?」
言葉の代わりに、少女は指を指して示した。
指の先には、崩れかけた小さな家屋が見えた。それは崩れかけたとはいえ、原型を留めており、今まで数え切れぬほどに見飽きた、崩れた砂のお城とは全く違っている。女剣士の疑念に少女が答える。
「あの大樹が盾となったようね」
女剣士は、心の中で滅多なことは考えないことにしようと思った。と思ったことでさえ、少女の心に流れ込んでしまっているかも知れないのだが。
女剣士は剣を仕舞うと、決して油断することなく家屋に近づいた。ガラスが嵌っていただろう窓はガラスどころか、窓であることさえ放棄してしまい、ドアと大して違わない存在になっている。いつ崩れるかわからないほどに傷んだ家屋に、女剣士だけが静かに入っていった。金髪の少女は、大樹の側の瓦礫に、そう何処から飛んできたのか見当もつかない瓦礫に腰を下ろした。
「・・・心配しなくても大丈夫よ」
誰に聞かせるわけでもなく呟いた声は風に揺れる葉のざわめきにかき消される事は無かった。
・・・
何か音が聞こえた。小さな音だ。何かが風を切り裂く音。何かが空気を擦り震わせた音。その音は少女にはっきりと聞こえた。
この大樹には聞こえただろうか。
女剣士が家屋から出てきた。既に剣はまた元の鞘に戻っていた。
少女が再び大樹の幹に触れる。
その瞬間に大樹が、爆ぜた。
まるで、深海の泡のように、虚空へと溶けて消えていく大樹を二人は見つめていた。無音のままに、泡が弾けて消えていく。たくさんのしゃぼん玉が屋根まで届かずに割れるように、泡は太陽に届くことなく消えていく。決して、いつも変わらない太陽の激しく降り注ぐ光の雨が、今日はいつもより強く感じた。
二人は崩れかけた家屋の側に、小さな墓を建てた。墓標だけの墓。他には何もない、単なる瓦礫の石標。それが墓であることなど誰にもわからない。誰にもわかる必要もない。ふたつの墓が家屋の側でこれから永遠に佇むのだ。誰のためでもなく、何かのためでもなく、ただ、そこに死があったことを示す標。生があったことを示す標。それ以上でもそれ以下でもない。永劫の時間でさえ、死と生を割けるのは短すぎるのかもしれない。
「もっと南に向かおうか」
女剣士がポツリと呟いた。
「何処へ行っても一緒じゃないの?」
少女が言う。彼女には聞く前にその答えはわかっているのかもしれない。それでも、女剣士は言った。
「・・・心が寒い」
そして、そこには誰も居なくなった。
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