姑獲鳥の夏が映画化されたらしいね>挨拶
 
 
 
妖怪に関する資料としての作品では、
やはり、京極堂シリーズは外せないのだろうか。
読んでおくべきだろうか。

なんて思いつつ、足洗邸の住人を読んで満足してるっス。
 
 
 
聖書とか北欧神話ならそこそこ堅いんだけど、
意外に日本妖怪とかって手厳しい。
ゲゲゲの鬼太郎っていっても記憶が曖昧だ。

ホントなら百鬼夜行が一番なのだろうが、そんな金も時間も無い。
 
 
 
妖怪になんかようかい?ってか。

 
 
【まじっく?】

まーどうなんだろうな。
この氾濫する情報が、
デッキの構築というゲームの根幹、
基本的な部分をないがしろにさせているっていう事実はあるのかもね。

コピーデッキが悪いというワケじゃ・・・
 
 
 
 
いや、非難承知で言うと

コピーデッキなんかでトーナメントに出るのは恥だと思う。
それで勝てたところで意味なんか無いように思うのは私だけ?
デッキはそのカード一枚一枚全てに、構築した人間の考えがある。
どんなに馬鹿らしくても、ズレていたとしても
それには価値が大いにある。

他人が築き上げたもので、他人の褌で相撲を取ってどうしようていうんだ。
 
 

まあ、考え方は人それぞれ。好きにすれば良いとは思うけどね。

私には耐えられない。

コピーデッキを使って、新しいアーキタイプに触れるのは良いと思う。
それは、純粋に練習として訓練として身につく。
動き方を理解でき、さらに弱点や脆弱性を見抜くところまで
いけるかも知れない。
しかし、コピーデッキにお世話になれるのはそこまでだろう。

そもそも、デッキ構築がゲームにとって不要な部分であるならば、
TCGで無くても良いのだろうしね。
 
 
  
あと、全く調整してないデッキでの
大規模トーナメントの参加もどうかと思う。
そりゃ、きっと物凄いデッキ構築術かプレイングスキルがあって、
調整しなくても問題ないのかもしれないけど、
それって、真面目に参加してる人への侮辱じゃね?
少なくともスポーツマンシップに欠けた行為ではあると思うんだ。
全力を出すから良い試合、GGであるのであって、
対戦相手は手を抜かれて嬉しいのか?

考え方も人それぞれだし、事情もあろう。
調整する時間を満足に取れない人だって決して少なくない。
しかし、大規模で公の場では、
競技であるからして言い訳はできないとも思う。
 
 
 
単なる遊技か、それとも競技か。
その差は参加している人の考え方の違いだけなんだよ、たぶん。 

競技が良いか遊技が良いかはまた別の問題だけどもな。


話変わって、
よく聞くセリフ。

なんとか(デッキタイプ)が強くすぎ、面白くない。もう引退する〜

一昔前なら親和。
今ならトロン。

はぁ。何が望みなんだろうかって思う。

強すぎだと思うんだったら、それメタったデッキ組むなり、
もしくは、ソレ自体を使えば良いんじゃないのか?
拘りのあるデッキがあるんなら、それを堂々と使えば良いじゃない?

なに?
もしかして、自分の使ってるデッキが最強じゃないと満足できないわけ?

デザインチームだって神様じゃないんだ。
強いカード弱いカード強いデッキ弱いデッキだってあるさ。
なんだって自分の思い通りになると思ったら大間違いだ。

母聖樹のときもなんかあったな。
結局、青コンは死ぬどころか第一線張ってるわけだが、
それは、青コン使いの執念と努力が生み出したモンだろ。

強くなりたければ、強くなろうとすればいいのに。
そうじゃないなら、そうじゃないんだからおとなしくしてれば良いんだよ。
 
 
 
まあ、考え方は人それぞれっちゅーことで
これが夕輝の考え方の一端ってとこかな。 
 
 
 
MTGはそこまで真剣にやってるわけじゃないからなー
トーナメントなんか出てないしさ。

でも、トーナメントプレイヤーだったモンコレとかSWCCGは
とても真剣だったよ。金も使ったし、時間も使った。
その使ったモノの分だけ強くなれたよ。
夕輝は結果残せるほど強くはなれなかったけどね。
でも、弱くても、それで得た強さはいろんな意味で糧になったよ。きっと。

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