”第一夜 葵と皿とスクランブル”

 ただ、辺りには重い空気が立ちこめている。
 その少女の目の前には、漆黒のチャイナドレスに身を包んだ大人の女性が立っている。その姿は、部屋の薄暗い照明に照らされて、妖艶な美しさを醸し出している。長い黒髪はつややかに、伸びる肢体はしなやかにして艶やか。絶世の美女と呼んでも差し支えないかもしれない。
 対する少女は、年の頃は二十を数えるかどうか。短く揃えられた緑の髪が小刻みに震えている。それは、寒さに震える小鳥のようである。成長期は過ぎてしまったのだろうが、背は低かった。薄暗い灯りの中では、彼女が女性であるか判別するのはやや難しかった。
 二人の年は一回りと離れていないはずだった。 しかし、目の前の美麗な女性には、十と八年を生きた少女よりも何年も人生を歩んでいるという雰囲気がある。もちろん、そこには年を重ねることに対する疲労は微塵も感じえず、むしろ、年を経ることで獲得できる美しさが女性の姿をより美しく見せている。
 青と緑のどちらともつかない色のゴシック調の服に身を包んだ小さな少女はただ、目の前の主人に頭を下げることしかできなかった。
 そう、緑の髪の少女はその女性のもとで働く一人である。彼女は自分の失敗に対する謝罪のために此処にいた。
 しかし、女主人のまなざしは重く冷たい。そして、鋭かった。女主人は、ゆっくりと少女に近づいていった。少女は、ただ頭を下げたまま身動きひとつできなかった。そのまま、近づいてきた女主人の顔が少女の眼前に広がる。その吐息さえも、触れてしまいそうなほどに。
 身近で見る自分の主人の顔は綺麗だった。同性である少女の頬にさえ朱が差すほどに。
 吐息が触れあう距離を維持しつつ、少女は動かずに我慢していた。いや、動こうと思っても動けなかっただろうし、動こうということさえ頭に浮かばなかった。
その端麗な女主人は、ゆっくりと口を開けて、少女に呟くように言葉をつげた。

「アンタはホントにドジねぇ」

「あ〜ん、ご主人様のばぁかー。こんなに謝ってるのにー」

 少女は、その無慈悲な女主人の言葉に大声で反論しながら、その場を走り去ってしまった。
 残された女主人は独り言を呟いている。

「まあ、皿割っただけだから、どうでもいいんだけどね。でも、今月に入ってもう三枚目なのよねぇ」
 女主人の視線の先には今月のカレンダーがあった。

 今月はまだ一週間しか過ぎていなかった。

   * * *

「ねぇ、信じられる?アタシの事、ドジでのろまでカメだって言うのよぉ。ちょぉっとお皿割ったくらいでさぁ」
 先ほどまで主人に叱られていた少女はキッチンに逃げ込んでいた。椅子に腰掛けて、机の上に広げてあったジャンクフードをつまみながら、彼女は同僚にグチをこぼしていた。
「・・・いやぁ。御館様の言い分ももっともだと私は思うなぁ。だいたい葵は不器用すぎるのよ」
「ひどぉい翠ちゃんまでそんなこと言うんだ〜。いいもんいいもん。アタシなんて一生皿割ってお菊さんやってればいいのよぉ」
 お菊さんになる予定のこの少女の名前は葵。先ほどの女主人の住むこの館のメイドの一人。向かいに座ってる同僚は翠。二人はメイドとして、この人里離れた女主人の館に住み込みで勤めている。二人は全く同じデザインの服を纏っているが、葵のそれが青と緑の中間色で統一されているのに対し、翠のそれは黄色と緑で構成されている。
「なんでもいいけど、コーラで酔っぱらう癖は直しなさいよねぇ」
 ジャンクフードに手を伸ばしつつ、翠は葵に言った。当の葵はテーブルに突っ伏している。別に酔っぱらって寝ているわけではないが、拗ねているのだろう。二人は同時期にここにやってきた。年も同じでそれなりに気もあった。
 その後も翠はまるで酔っぱらったかのように絡んでくる葵をなだめるのに手を焼いた。とはいえ、毎度の事なので慣れているといえばそうなのだが。
 そのうちに時計が真夜中をつげ、二人は寝室へと戻っていった。
 メイドの朝は早い・・・わけではないのだが、主人より早く起きてしなければならないことはたくさんある。

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