【自由の貴族】

遠くの山に陽が沈みつつある夕暮れ時。
街では、行き交う人々が帰りを急いでいる中を人間とすれ違うように彼は歩いていた。急ぎ足の人間は彼を気に留めることはなかったし、彼も人間なぞに特に興味もない。
いつもの生鮮食品を扱う店の前を通ると、太ったおばちゃんが出てきて、彼にリンゴの切れ端をくれた。彼は一声にゃあと鳴くと、リンゴを口にいれる。果物は嫌いではなかった。人間が好きで自分に何かをくれるのだから、それは貰っておく。
彼は、すれ違う小走りの貧相な男性を眺めつつ思う。

人間はなぜ、こうも行き急ぐのだろうか、と。

生鮮食品のおばちゃんがふと目を離した瞬間には既に彼の姿は何処にもなかった。彼は留まらない。彼は彼の命じるままに脚を動かす。
人間は物好きだ。彼をペットにしようという者が居た。だが、彼は人間などという矮小な輩に世話になろうなどと微塵も思わない。だから、誰も彼を手に入れることは出来なかった。
白い尻尾を左右に揺らして、真っ白な体に黒い斑で飾り付けられた彼の雄姿は、罪深くも人間を魅了してしまうのか。
彼は自分の罪深さを神に懺悔した。が、彼は神の存在を信じてはいないのだが。
彼が裏路地にさしかかったところで、目の前に大きな犬が現れた。猟犬などでは無いが、彼よりも一回りも二回りも大きい体をしたその犬は姿勢を低くして、彼に向かってうなり声を上げていた。

彼はため息をついた。
人間は馬鹿だが、獣は利口だ。そんなことを考えながら、彼は犬と目を合わせた。その犬はおそらく、彼が見た目通りのものでは無いことを感じ取っているのだろう。
目が合った瞬間に犬は吠えだした。弱い犬ほどよく吠えるとは言ったものだ。彼は少しうんざりしながら、気まぐれも手伝ってこの犬を追っ払うことにした。普段なら、街中で力を使うことはあまりしない。人間に見つかったら面白いことにはならないからだ。
彼の目が緑色の光を放った。同時に、彼はすくっと後ろ脚だけで立ち上がると、前脚を高く上げ威嚇のポーズを取った。犬は驚いて後ずさりをしている間に、彼の姿はどんどん大きくなった。
やがて、大柄な人間ほどの身長にまで大きくなったときに、裏路地に大きなうなり声が響いた。猫科の大型肉食獣の鬨の声だ。もちろん彼の声だ。次の瞬間には、犬は一目散に走って逃げていってしまった。
後には、本来の姿をした彼だけが取り残された。黒いつばの広い羽根飾りの付いた帽子に、白いレイピアと黒のタキシード。そして長靴。
彼は久しぶりに本来の姿に戻ったが、次の瞬間、また元の小さな猫の姿に戻った。本来の姿は好きじゃないし、彼にとってはこの猫の姿が本当の姿だった。
彼はふと、視線を感じて後ろを振り返った。
建物の影から一人の人間が覗いていた。

・・・しまった。見られた・・・かな?

幸いにも、その人間は彼の本来の姿を見ては居なかったようだ。不審な獣のうなり声、そう彼の声だ、につられてやってきたようだ。
その人間は、彼の姿に気が付くと、彼に近寄ってきて優しく抱き上げた。

「おまえもひとりぼっちなんだね。ウチにおいでよ」

彼を抱き上げた人間は、彼を抱いたまま表通りの方へと歩いていった。
彼は人間の世話にならない。だが、たまには人間と”同居”するのも悪くはない。人間が頼むのなら仕方がない。頼まれてやるとしよう。この人間の女性はちょっと好みのタイプだから、な。
彼はそんなことを思いながら、にゃあと鳴いた。

自由の象徴たるケットシーは自由気ままに生きている。
彼を飼い慣らすことは何人にも不可能であるが、
彼に気に入られることは案外簡単かもしれない。

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