【漆黒の脅威】

ふしゅぅ

牙と牙の間から音無き吐息が漏れる。漆黒の闇が辺りを支配する深き森の奥深くに彼は居た。彼は彼を支配する馬鹿で悪意に満ち、敬える点などひとつも無い主人の元にいた。
彼の紅い目が鈍く輝き、それは闇をも見通す。彼は自分の主人より自分が賢いことを知っている。言葉をしゃべることはできない彼だが、その気になれば、テレパスによって意思の疎通など造作も無い。むしろ、言葉なぞ不要。音が無ければ、空気が振動しなければ意思の疎通が出来ないなど不便で仕方あるまい。彼は思う。
辺りを覆う黒いとばりにも負けぬ闇よりも暗い毛並みは美しく闇夜に映えた。彼の自慢でもある。
彼の主人は彼を彼の故郷から呼び出した。別に魔力に縛れているわけでもないし、彼に惹かれているわけでもない。もっとも、間抜けな主人はさも自分が偉大な魔力を持っているとでも勘違いしてよう。
彼は彼自身の意思でここに居る。彼の本職は番犬だ。彼の主人が自分の家の門を守らせるのは、彼の本職を知っていたからだろう。その点だけは彼は主人を誉めた。
最近は猟犬かなにかと間違われて忙しいことこの上なかったからだ。
彼は彼の主人の家を彼に言われて守っているわけだが、そんなことはどうでもよかった。呼び出されたときに、間抜けで哀れで矮小な男を食い殺してもよかったのだが、彼には任務があった。
彼はこの自信過剰な主人を利用することを思いついた。それに、この暗い森は彼にとって心地よい。光が無くても、完全な闇をも見通す目を持つ彼でも、光の差さないような魔窟はいささか退屈だ。炎を一切受け付けぬ体と短距離を瞬時に転移できる彼でも、溶岩に包まれた火山の底は暑苦しい。光に晒された塔の屋上などはもってのほかだ。
彼は思った。最近、とくにツイてない、と。
おまけに、本当の主人の館に忍び込んだ賊を取り逃がしてしまったのだ。主人は、忍び込んだ賊が彼の手におえない存在であることを感じていたから、彼を叱責したりはしなかった。
が、彼の番犬としてのプライドがそれを許さなかった。

彼は暗き森に響き渡る雄たけびをあげた。
彼が音を立てるのは、何年ぶりのことであろうか。
番犬としてのプライドが彼を死の猟犬に仕立て上げる。
地の果てまでも、地獄の底から追い続ける。
そう、彼は偉大なるヘルの館の番犬、ガルムである。
 
 

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