夕輝と平和
2004年8月18日平和について考えてみようと思う。
極端な思想が混じっているので、そういうのに敏感な人や
異端審問官は見なかったことにしてスルーしてください。
平和とはどういう状態なのか。
たとえば、今の日本の状態は平和なのか。
平和の定義は曖昧だ。
だが、これだけは確かだと言える。
戦争反対主義者と平和主義者はイコールではない。
確かに戦争が無ければ平和なのかもしれない。
だけど、戦争がなければ平和だとは限らないし、
戦争があれば平和でないというのも断言できない。
そもそも、なぜ戦争が起こるのかを考えれば良い。
もし戦争反対するのであれば、原因を取り除けばいいのだ。
戦争が起こる原因は簡単だ。
自分たちの平和と幸せのためである。
確かに、自分たちの幸せと平和のために
他者の平和と幸せを失わせるのは良くないことだと思うかも知れない。
私はそれを否定はしない。
だけど、平和と幸せを望むことをやめさせる権利は無い。
それに何も望まなくなってしまえば、人間は滅ぶだろう。
戦争は無いにこしたことはない。
それは確かだ。だが、力は必要だ。
私にとって言わせて貰えば、軍事力を持たないというのは
生きることを放棄しているに等しいわけであり、
それは生きることに対しての冒涜だ。
我々は生まれたからには生きなければならない。
そのためには外敵と戦うだけの力が必要だ。
だから憲法九条の改正には賛成する。
そもそもアメリカに押しつけられた憲法なのだから、
我々が世界に誇る平和憲法は我々の手で創りたい。
平和憲法であり、軍事力を持てる憲法を目指さなければならない。
軍事力を持つことが平和を乱すわけではない。
軍事力を持つこと我々の平和を守るためである。
少なくとも、我々に十分な武力があれば
某国との領土問題も某国との拉致関連問題も解決することが出来、
より多くの同胞を幸せに平和に導くことが出来る。
私の観点は小さいモノだ。地球全体を見ていない。
小さな島国の同胞が幸せに平和になればいいと考えている
矮小な人間の意見だ。
しかし、私は自分の同胞の幸せも願えない奴らが
本当に世界全体の幸せを願えるわけが無いと思っている。
遠い国に住む名もしらぬ人も世界を構成する人間の一人だが
あなたの目の前にいる同じ国の人間もまた世界を構成する一人の人間だ。
話を戻そう。
では、世界を平和にするためにどうするか。
最も簡単な方法がある。
世界を統一した一つの国家にすることだ。
これで戦争も無くなる。領土問題も解決する。
まあ、実現は不可能だろうが、それでも解決策の一つとして
私は提案したい。
もし平和を望む、あるいは戦争を反対する人々は
なにか具体的な案はあるのだろうか。是非聞きたいものだ。
ここに具体的、かつ実現可能な、戦争を完全に回避する方法がある。
それは全ての国が核兵器を保有することである。
我々の国は原爆の被害を受け、その悲惨さを体験した
唯一の国である。それは永続的に効果を発揮し、
土地を汚染し全てを少しずつ失わせ、狂わせる。
最悪の兵器であることは重々承知である。
それでも、だ。
私は理想主義者ではない。
戦争と核による被害を無くすために最も現実的な手段を考えているだけだ。
それには、全ての国が核を保有することだ。
平和を叫ぶだけで平和になるなら、
既に平和になっている。
それでも平和とやらが訪れないなら
我々は行動しなければならない。
我々は我々の平和を守るために
ペンと剣の両方を握る必要があるということだ。
そして、時にはペンを、あるいは剣を交えることで
自分たちの平和を守らなければならない。
少なくとも、今、我々の平和を守っているのは
警棒や拳銃を携帯した警察官であり、
戦闘機とイージス艦を装備した自衛隊であり、
日本にも基地を保有している米軍であることは疑いもない。
夕輝が平和と戦争に関して思うことはこんな感じだ。
極端な意見が多数混ざっているのはわかっている。
私はこの考えを誰にも強要したりはしない。
皆、それぞれがそれぞれの意志と思想に基づいた考えを持っているだろう。
どんな意見であっても、自分の意志から導かれた意見は
すべからく価値のあるものだと私は信じている。
極端な思想が混じっているので、そういうのに敏感な人や
異端審問官は見なかったことにしてスルーしてください。
平和とはどういう状態なのか。
たとえば、今の日本の状態は平和なのか。
平和の定義は曖昧だ。
だが、これだけは確かだと言える。
戦争反対主義者と平和主義者はイコールではない。
確かに戦争が無ければ平和なのかもしれない。
だけど、戦争がなければ平和だとは限らないし、
戦争があれば平和でないというのも断言できない。
そもそも、なぜ戦争が起こるのかを考えれば良い。
もし戦争反対するのであれば、原因を取り除けばいいのだ。
戦争が起こる原因は簡単だ。
自分たちの平和と幸せのためである。
確かに、自分たちの幸せと平和のために
他者の平和と幸せを失わせるのは良くないことだと思うかも知れない。
私はそれを否定はしない。
だけど、平和と幸せを望むことをやめさせる権利は無い。
それに何も望まなくなってしまえば、人間は滅ぶだろう。
戦争は無いにこしたことはない。
それは確かだ。だが、力は必要だ。
私にとって言わせて貰えば、軍事力を持たないというのは
生きることを放棄しているに等しいわけであり、
それは生きることに対しての冒涜だ。
我々は生まれたからには生きなければならない。
そのためには外敵と戦うだけの力が必要だ。
だから憲法九条の改正には賛成する。
そもそもアメリカに押しつけられた憲法なのだから、
我々が世界に誇る平和憲法は我々の手で創りたい。
平和憲法であり、軍事力を持てる憲法を目指さなければならない。
軍事力を持つことが平和を乱すわけではない。
軍事力を持つこと我々の平和を守るためである。
少なくとも、我々に十分な武力があれば
某国との領土問題も某国との拉致関連問題も解決することが出来、
より多くの同胞を幸せに平和に導くことが出来る。
私の観点は小さいモノだ。地球全体を見ていない。
小さな島国の同胞が幸せに平和になればいいと考えている
矮小な人間の意見だ。
しかし、私は自分の同胞の幸せも願えない奴らが
本当に世界全体の幸せを願えるわけが無いと思っている。
遠い国に住む名もしらぬ人も世界を構成する人間の一人だが
あなたの目の前にいる同じ国の人間もまた世界を構成する一人の人間だ。
話を戻そう。
では、世界を平和にするためにどうするか。
最も簡単な方法がある。
世界を統一した一つの国家にすることだ。
これで戦争も無くなる。領土問題も解決する。
まあ、実現は不可能だろうが、それでも解決策の一つとして
私は提案したい。
もし平和を望む、あるいは戦争を反対する人々は
なにか具体的な案はあるのだろうか。是非聞きたいものだ。
ここに具体的、かつ実現可能な、戦争を完全に回避する方法がある。
それは全ての国が核兵器を保有することである。
我々の国は原爆の被害を受け、その悲惨さを体験した
唯一の国である。それは永続的に効果を発揮し、
土地を汚染し全てを少しずつ失わせ、狂わせる。
最悪の兵器であることは重々承知である。
それでも、だ。
私は理想主義者ではない。
戦争と核による被害を無くすために最も現実的な手段を考えているだけだ。
それには、全ての国が核を保有することだ。
平和を叫ぶだけで平和になるなら、
既に平和になっている。
それでも平和とやらが訪れないなら
我々は行動しなければならない。
我々は我々の平和を守るために
ペンと剣の両方を握る必要があるということだ。
そして、時にはペンを、あるいは剣を交えることで
自分たちの平和を守らなければならない。
少なくとも、今、我々の平和を守っているのは
警棒や拳銃を携帯した警察官であり、
戦闘機とイージス艦を装備した自衛隊であり、
日本にも基地を保有している米軍であることは疑いもない。
夕輝が平和と戦争に関して思うことはこんな感じだ。
極端な意見が多数混ざっているのはわかっている。
私はこの考えを誰にも強要したりはしない。
皆、それぞれがそれぞれの意志と思想に基づいた考えを持っているだろう。
どんな意見であっても、自分の意志から導かれた意見は
すべからく価値のあるものだと私は信じている。
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