追憶は
日々徒然に思う駄文を書き綴るための自分のための場所である。
それは、追憶が今とは異なる場所で始まったときも今も変わらない。

人はそれぞれ、他人と違う自分の考え方を持っている。
それゆえに人はぶつかり、争い、そして別れる。

考え方なんて人それぞれだ。
まったく同じ人なんて存在しない。
なのに我々は集団で社会で生活していかなければならない。

人がよかれと思うことでも他人から見れば
それは全く良いことではなかったりする。
逆もまた真。

ネットという文明の利器を手に入れてからより
私は色々な人々の考え方の対立を見てきた。

私は思う。
相手の立場を相手の考え方を相手の心を
もう少しだけでも考えて理解しようとしたらどうか、と。

もちろん、全てが全てそんななまっちょろい考え方で済むとは
とうてい思っていない。そんなに人は分かり易い存在じゃない。

でも、だからといって
分かり合える可能性があるのに、それを踏みにじるのもどうかと思う。
顔が見えなければ、とか
名前がわからないから、とか
そんなことは関係ないし、
これからはもっと関係なくなっていくだろう。

だが、
我々は普段の生活で
他人と接し、妥協を重ね、愛想をふりまき
自分を磨り減らして生きている。
その反動がインターネット上での活動に出てきているのだとも思う。

これは私の意見だ。
あなたがたにこれを理解しろと言わないし、強要もしない。
対立したければ、どんどん対立するが良い。
相手と別離するなら、どんどん別れ離れていくが良い。
そんなことは私の知ったことではないし、
どんな行動であれ、自分自身で判断した行動は
他人からどう映ろうが、それは価値のあることだ。

断っておくが、私はシンジくんとは関係ない。

私が言いたいのは、
ネットで見かける色々な人々の行動を見て思っただけで
私は、相手のことを少し考えて行動しようと思う。それだけだ。
まだまだ若い自分が言うのもなんだが、
たぶん、私が見かけるそんな人々の大半は
若いんだろう。あるいは幼いとも言う。
言い方が悪くても良いなら、ガキだとも言える。

大人になるということはそういうことだと思う。

普段は普通に生活しているなどと言い訳する輩は
間違いなく、普段の生活もガキ同様であろう。
なぜなら、最初に言い訳が出てくるのは
幼い子供特有のものであるからだ。

話はそれるが、
人は不平等である。平等なわけがない。
そもそも、ほんとに平等なら、
みんな同じ顔、同じ背、同じ親に同じ寿命・・・
何も楽しく無いだろう。生きる価値さえ無い。
そもそも平等なら、殺人は全て死刑にしなければ意味があわないよな?

そんなことはどうでもいいが、
平等でないから、人は対立する。それは悪いことばかりではない。
極端な話、平等でないからスポーツは成り立っている。
みな同じ速さで走り、同じ距離を飛び、同じ強さなら
スポーツは意味が無くなってしまう。

だけど、やはり
人は対立するばかりが脳じゃないし、
相手のことを考えるだけの理性を持ち合わせているのだから
それをもう少し使いたいと思うのはいけないことだろうか。

もっとも、理性の存在が人を不幸にしているがこれは別の話。

全てが全てわかりあえるほど世の中甘くない。
けど、もう少しぐらい幻想を見てもいいと思う。ただそれだけだ。

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